常識外れの「よなよなエール」が独走するワケ クラフトビールの旗手が挑む販売と生産の壁

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ヤッホーの井手社長は今回の買収に関し「今後についてはまだあまり考えられていない」としつつも、「銀河高原は、以前は全国でたくさん売っていて知名度も高い。われわれを除くと日本のクラフトビールメーカーの中でいちばんポテンシャルがあると思っている。ヤッホーの経営ノウハウを使ってさらに魅力を増していきたい」と説明する。

そのヤッホーも今でこそ12期連続の増収増益と好調だが、かつてはほかのメーカーと同様に地ビールブームの反動減に苦しめられた。

ヤッホーは1996年、星野リゾートの子会社として設立された。同社代表の星野佳路氏が米国でクラフトビール文化に触れ、日本でも広められると考えたのがきっかけだ。「当時の星野リゾートの年商は50億円未満。それなのにヤッホーの設備投資に10億円を投じた。今考えると正気のさたじゃないが、星野はそれだけ本気だった」(井手社長)。

地ビールブーム終焉の衝撃

よなよなエール“愛の伝道師”兼ヤッホーブルーイング代表取締役社長の井手直行氏。大手電気機器メーカー、広告代理店を経て1997年ヤッホーに入社。2008年に同社社長に就任。ニックネームは「てんちょ」(記者撮影)

地ビールブームの追い風も受け1999年までは売り上げが順調に伸びた。

当時としては珍しく缶製品の製造も行っていたため全国への流通が可能で、コンビニなどへの配荷も進んだ。

当初から缶製品で全国流通していた唯一のメーカーだったという。

だがブームが去ると、全国で販売していた製品の店頭での取り扱いがなくなり、リピートもされなくなった。

創業当時から、地元の軽井沢だけではなく全国の家庭でも飲まれることを目指していたというが、「地ビールブームが起きてしまったことが誤算だった。消費者に、ほかのメーカーの観光商材としてのビールと同じに見られてしまった」と井手社長は当時を振り返る。

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