六本木が「ステーキの街」に大変身した必然 高級から低価格まで30店超が集う激戦区に

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熟成肉ブームも相まって2010年代以降、さまざまな価格帯やスタイルのステーキ店が続々と開店。このエリアでステーキを看板メニューとする店舗は少なく見積もっても30店は超えており、まさにステーキ激戦区の様相を呈している。

なぜ六本木なのか。関係者が異口同音に指摘するのは、「外国人が多いため国際色が強く、単価が高いものも受け入れられやすいハイエンドな地域だから」(ルビージャックスステーキハウスを運営するECNホスピタリティ社オーナーのネイスン・スミス氏)という点だ。

六本木はもともと「軍の街」

ブランド和牛を扱う「RRR」は六本木に2店舗を展開し、訪日外国人観光客の人気を集めている(記者撮影)

六本木はもともと「軍の街」だった。現在の東京ミッドタウンは戦前の旧陸軍・歩兵第三連隊の駐屯地の跡地に位置しているし、国立新美術館や政策研究大学院大学の場所には同第一連隊の駐屯地があった。

戦後、それら旧陸軍の施設がGHQに接収されたことをきっかけに、周辺には米国人を相手にした店が増えていった。また、周辺エリアには各国の大使館が密集していたこともあり、「英語が通じる街として認識され、外国人が集まってきた」(六本木商店街振興組合の堀井健一理事)。

1964年の東京五輪前の開発によって六本木交差点周辺の道路が拡張された上、同年に地下鉄の日比谷線が開通。1959年には日本教育テレビ(現テレビ朝日)が開局されていたこともあり、芸能人や業界人、それらを追う若者などが集まり「夜の街」としてのイメージが形成されていった。

その後、2000年代に入り六本木ヒルズや東京ミッドタウンが開業。外資系企業などのオフィスが増えたことで昼間の人口が増えた。「夜しか営業していなかった飲食店が急にランチ営業も始めるようになった」(堀井理事)ほどだという。

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