ところが安心したのも束の間、7カ月検診のときに、「片方の胎児の心音がおかしい」と言われ、29週で、急きょ帝王切開で出産することになった。
生まれてきた娘たちは、第1子が1253グラムの極小未熟児(極低出生体重児)、第2子が977グラムの超未熟児(超低出生体重児)で、4カ月間、NICU(新生児集中治療室)にお世話になった。新生児の高度専門医療の発達により、娘たちは命を救ってもらい、おかげさまで何のトラブルを抱えることもなく健康に成長した。しかし私は、高年齢出産者の抱えるトラブルをいくつも経験しての出産となった。
どんな出産にもさまざまなドラマがあるが、高年齢出産や不妊治療をした夫婦の場合は、目の前に乗り越えなくてはいけないたくさんの課題が突き付けられる。トラブルも起こりやすい。それを解決しながら前に進んでいくのだが、結果、わが子を抱ける夫婦もいれば、あきらめる夫婦もいるのが現実だ。
「子ども」にこだわるあまり破談になったお見合い
目の前の富雄は、清々しい顔で言った。
「僕も香苗も不妊治療をしたことに、後悔はないですよ。そのことでたくさんけんかもしたけれど、それを経たからこそ強くなった夫婦の絆もあります」
そんな富雄を見ていたら、香苗と出会う前に、結婚寸前までいきつつも「子ども」にこだわるがあまり破断になったかつてのお見合いがあったことを思い出した。
富雄が婚活を始めたのは、43歳のときだ。身長は168センチと小柄だったが、やせ型で清潔感があり、女性からは好感をもたれる見た目だった。面談のときには「子どもが欲しいから、なるべく早く結婚がしたい」と言っていた。富雄は、以前私が私設ブログに書いた“脳内婚活”という言葉が、まさに自分のことだと胸に刺さったのだという。
脳内婚活について、かつて私はブログにこう書いていた。
「『いつかは結婚相手にめぐりあえるだろう』という気持ちはあるものの、行動を起こさないままに年齢を重ねてしまう。脳ミソの中には“婚活”という言葉が常にあるので、行動を起こしている気持ちになっている。過去1年を振り返り、何人の結婚できる候補者にあったかを紙に書き出してみるといい。一人たりとも出会っていないことが多い」
富雄は、女性にはずっと奥手だった。中高と男子校で、大学時代はサークルに好きな女性がいたものの、告白できないままに卒業をした。
卒業後は、あるメーカーに就職をしたが、会社が海外に工場を持っていたために、30代のときにはインドネシアに3年、タイに2年赴任をした。20代で女性経験もないまま海外赴任となり、海外では余計に恋愛からは縁遠くなり、38歳のときに帰国をした。
そこからまた日本での生活が始まったものの、“いつかは結婚したい”と思いつつも、家と会社を往復する毎日。そんなときに、脳内婚活をしていた自分に気がついた。“結婚したいと思っているだけでは一生このままだ。行動を起こそう”と私を訪ねてきた。そのとき、43歳になっていた。
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