ノーベル化学賞「最有力女性科学者」の偉業 クリスパーを開発した科学者の手記を読む

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2011年、当時スウェーデンの大学に所属していたシャルパンティエと、米国西海岸に研究室を構えるダウドナとの、スカイプや電子メールを駆使した共同研究が始まる。わずか1年ほどで、パズルの最後のピース、さまざまなCasタンパク質の中で最も重要とみられていたCas9の役割が突き止められる。Cas9は、ガイドRNAの指示どおりにウイルスのDNAを正確に素早く切断する、細菌にとって文字どおりの「最終兵器」だった。2012年6月に発表した歴史に残る論文で、ダウドナらは、この仕組みが革新的な遺伝子編集技術としても利用できることを示した。ガイド役のRNAを思いどおりに設計し、はさみ役のCas9タンパク質にDNAの目的の場所を切らせるのだ。CRISPRの誕生である。

ダウドナが、自然への好奇心を原動力に、研究室のメンバーや共同研究者とともに緻密な推理と実験を積み重ね、一歩ずつ真理に近づいていく様子はスリリングで感動的だ。単細胞である細菌が、ウイルスから身を守る戦略の巧みさ、複雑さにも驚かされる。

経営センスが欠かせない

現代科学が具体的にどのように営まれているかが垣間見えるのも、本書の面白さの一つだろう。たとえば、ダウドナは魅力的な共同研究の提案を受けるたびに、興味を引かれ、身を乗り出しつつも、頭の中では冷静に研究室にとっての利益と負担をてんびんにかけ、プロジェクトを任せられる人材がいるかを思案する。ダウドナ自身も述べているように、科学の原動力は冒険心と好奇心といえども、研究室を維持しながら着実に成果を出すには、理想と現実の間でうまくバランスをとる経営センスが欠かせないことがよくわかる。

続く第2部では、CRISPRの利用の広がりと研究の劇的な進展が、膨大な最新情報とともに紹介される。農作物や家畜の改良から医療、さらには絶滅動物の復活まで、研究の幅広さには圧倒されるばかりだが、実は最もそのスピードと広がりに動揺したのは、技術を開発したダウドナ自身だった。

CRISPRに限らず、すべての科学技術は善悪両方の目的に利用されうる。量子物理学と核兵器の関係が最たる例だ。デュアルユースと呼ばれるこの二面性は、2016年9月からの1年間、米国に留学していた私の研究テーマの一つだった。

CRISPRで想定される深刻な悪用の一つは、新たな生物兵器の開発への利用だろう。旧ソ連が冷戦時代、核兵器と並行して極秘に、生物兵器を開発・生産していた事実は有名だ。長らく開発研究に携わり、ソ連崩壊後に米国に亡命したある研究者はインタビューに応じ、細菌に有害な物質を作らせるため新たなDNA配列を組み込んだり、2つの病原体を合体させたりして新規の兵器を作ろうとしていたことを話してくれた。そうした研究は、もしCRISPRを使えばずっと容易にできるに違いない。第5章に登場する遺伝子ドライブも、生物兵器への転用の可能性が懸念されている。

ダウドナが最も心配するのは、リスクや適切さについての議論がなされないうちにヒトの生殖細胞が改変されることだ。精子や卵子、受精卵の遺伝子を書き換えることは、まだ生まれていない子どもや、その次の世代にまで影響を及ぼすことを意味する。未来の人間のDNAを永久的に書き換える準備が、私たちにできているのだろうか。それは、一歩間違えれば、『ガタカ』で描かれたような、より「優れた」人間を作るための操作、さらにはナチスドイツが信奉し、ユダヤ人や同性愛者・精神疾患患者・身体障害者らのホロコーストを引き起こした優生学の復活につながりかねない。さらに、不用意な改変は、この技術に対する社会の信頼を一気に失わせ、病気の新しい治療への道すらも閉ざしてしまうだろう。

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