ノーベル化学賞「最有力女性科学者」の偉業 クリスパーを開発した科学者の手記を読む

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2015年4月、中国の研究チームが世界に先駆け、最新の遺伝子編集技術(「ゲノム編集」とも呼ばれる)によるヒト受精卵の改変を試みたという論文を発表した。用いられたのは「CRISPR・Cas9(クリスパー・キャス・ナイン、以下CRISPR)」。生物の全遺伝情報(ゲノム)は、細胞一つひとつの核に収められた二重らせん構造のDNAに保存されている。CRISPRは、DNAにA、T、C、Gの4種類の塩基で書かれたゲノムを、狙いどおりに書き換えることができる魔法のようなツールだ。

やや皮肉なことだが、物議を醸した中国のチームの報告は、CRISPRの名が全世界に知れ渡り、関心を集める機会を作った。取材した私は、この技術がすでに、生命科学のほぼ全分野に普及しているのを目の当たりにした。遺伝子編集技術はそれまでにもあったが、使い勝手が悪く、高額だった。第3世代として登場したCRISPRは、はるかに簡単かつ低コストで、瞬く間にほぼすべての動植物の細胞に使えるようになった。ある専門家の言葉を借りれば、CRISPRは、遺伝子改変を伴う研究の「裾野を広げて」もいた。つまり、旧来の遺伝子組み換え技術に縁のなかった研究者までもが、CRISPRの登場を機にこぞってゲノムを「編集」し始めていたのだ。

『CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』は、そのCRISPRをエマニュエル・シャルパンティエ博士とともに開発し、いま世界で最も注目される科学者の一人、ジェニファー・ダウドナ博士が書いた2部構成の手記である。第1部では、一見、無関係に思える細菌の研究が、画期的な遺伝子編集方法に結び付くまでの物語が生き生きと描かれる。

リピート配列は回文のように見える

そもそもCRISPRは、細菌のDNA配列に見られる奇妙な繰り返し配列を指す。数十文字のまったく同じ配列(リピート)が繰り返し現れ、その間に同程度の長さのそれぞれ異なる配列(スペーサー)が挟まれた構造だ。しかもリピート配列は、前から読んでも後ろから読んでも同じ、回文のように見えるというから面白い。本書にはソースノートにその論文が言及されているだけだが、1987年に大腸菌のDNA中で初めてCRISPR配列を発見したのは、日本の石野良純博士(現・九州大学教授)らだった。

一方、ダウドナはもともと、細胞内で働くRNAについて研究していた。RNAは、細胞の中でタンパク質が作られるとき、必要な情報をDNAからコピーして、核の外側に伝える分子だ。CRISPR配列は、細菌の体の中でどんな役割を担っているのか。シャルパンティエら2人の女性科学者との幸運な出会いが、ダウドナをこの謎解きに引き込む。

細菌が外部から侵入してくるウイルスを撃退する仕組みにかかわっているのではないか――という最新の仮説を証明するため、ダウドナは、DNA上で必ずCRISPR配列の近くにあるCasという遺伝子のグループに着目し、研究をスタートさせた。やがて全体像が実を結び始める。細菌は、かつて感染したウイルスのDNAを取り込んでスペーサー配列に記憶する。再び侵入されたときは、スペーサー配列をコピーしたRNAがガイド役となってCasタンパク質を導き、ウイルスのDNAを破壊するという仕組みだ。

次ページわずか1年ほどでCas9の役割が突き止められる
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