国家予算の26%をつぎ込んだ「人造石油」計画 山本五十六を苦しめた「エネルギー問題」とは
三田:現在、日本の石油備蓄量は国家備蓄が4800万キロリットル、民間備蓄が3100万キロリットルで200日分といわれています。こんなに大量の石油を備蓄している国は他に類を見ません。現在、多くの企業が過剰な在庫を問題視し、無駄のない経営が理想というか常識になっているというのに、石油備蓄については誰も何も言わない。太平洋戦争、そしてオイルショックが日本人に与えた「トラウマ」が、どれだけすさまじいものだったのかを実感します。
私は漫画家になる前、実家の衣料店を経営していたのですが、そのときも売り上げが悪くなると、心配して新商品を大量に仕入れちゃう。今ならば“貧すれば鈍する”の典型だとわかるんだけど、当時は借金してでも在庫が欲しい。あれば安心する。売れない商品在庫を抱えるのは、本当は自殺行為だというのに……。
山本:無駄な在庫を抱えず、生産効率を上げてコストを下げるトヨタ生産方式(ジャスト・イン・タイム)の逆ですね(笑)。
三田:アメリカ人は投資が大好き。それに比べ日本人は貯蓄が大好き。太平洋戦争で日本が負けた要因は、この国民性の違いかもしれませんね。おっと、私事で話がそれました。先の人造石油の技術はドイツから導入されたと『水を石油に変える人』にありましたが、そのあたりについて、お教えください。
「水からガソリン」を信じた人は愚かだったのか
山本:人造石油の研究が進んでいたのはドイツでした。1921年に「ベルギウス法」が、その後、「フィッシャー・トロプシュ法」が開発され、1944年には日産12万4000バレル、年産650万トンもの生産量を誇りました。この人造石油は「エアザッツ(Ersatz)」と称され、大いに注目されましたが、日本に対する技術公開は非常に限定的で、日本人技術者は誰も、製法技術の肝心要のところを知らされなかった。
日本の人造石油は、上っ面だけ整えた猿まね以下の代物だったのです。「ここにひとつの誤認をわれわれは犯していた。ドイツの成果は、すべて石炭の直接液化法によるものだと考えていたことである。戦後の文献によるものは、ほぼ68万トン/年にすぎず、それ以外はすべてタールその他の液状原料の水素添加だったのだ」と陸軍省燃料課の技術将校・高橋建夫少佐も語っています(高橋健夫著『油断の幻影』)。
三田:『水を石油に変える人』を読んで感じたのですが、帝大教授や、実業家などの名士たちまで、当時の人々は「水からガソリン」などという、こんな非科学的なことをどうして信じてしまうのか、との疑問がつねに付きまといました。書いていて、これをどう思われましたか?