国家予算の26%をつぎ込んだ「人造石油」計画 山本五十六を苦しめた「エネルギー問題」とは
山本:昭和11(1936)年、日本は、この人造石油に当時の金額で7億7000万円もの巨費を投じる壮大な7年計画に着手します。これは計画最終年の昭和18年度に重油とガソリン各100万キロリットル生産するというもので、国内需要の約4割を自給自足するという計画でした。
三田:7億7000万円! 日本の国家予算が29億円、戦艦「大和」の建造費が1億4000万円前後の時代の7億7000万円は、相当な金額ですね。現代の価格にすると、いかほどですか?
山本:国家予算に占める割合からすると15兆4000億円となります。現在計画中の東京―大阪間のリニアモーターカー建設見積もりが9兆円ですから、いかに壮大な計画であったか理解できるかと思います。
三田:私の漫画では戦艦「大和」の建造費が高すぎる、と大いにもめていますが、それどころの騒ぎじゃないですね。
山本:しかも、生産された人造石油の製造コストは普通の石油の10倍にも達しており、こちらも完全に度外視されていました。しかし昭和15年度の計画93万キロリットルに対し、2万キロリットル(2%)、16年度は120万キロリットルに対し19万キロリットル(15%)しか生産できませんでした。
いまの日本にも残る「石油不足」のトラウマ
三田:問題は、どこにあったのでしょう?
山本:戦後、アメリカ戦略爆撃調査団の一員、ニューヨーク市立大学のジュローム・コーヘン教授は、こう言っています。「7年計画のような人造石油建設を行うには膨大な鋼材を追加割り当てしなければならなかったにもかかわらず、人造石油工業への実際の割り当ては、1940年以降、むしろ減少した」。つまり、日中戦争、太平洋戦争に膨大なリソースを取られる状況では、人造石油工業に資材を回すなど、無理だったのでしょう。
また「日本の技術者は総じて石油工業の経験が浅く、その技術は貧弱であった」とも報告書に書かれています。アメリカは対日経済制裁の一環として昭和14年12月の段階で航空機用ガソリン精製機器と精製技術の輸出・供与を禁止するなど、真綿で首を締めるように対日圧力を強めていきます。昭和16年の対日全面禁油に至るまで、日本のエネルギー事情は急速に悪化していくのです。