ヤマトの現場に漂う「改革」後も変わらぬ疲弊 元社員から見た「ブランド」ゆえのジレンマ
最初の誤算はここにあった。アマゾンを請けたところでシェアの拡大にはつながらず、むしろ翌2014年度のシェアは前年比0.9ポイントダウンの45.4%と下がってしまったのだ。その間、日本郵政は、11.9%→13.6%とシェアを伸ばしている(国土交通省調べ)。
ヤマトはそこから「値下げしてでも荷物を獲得する」路線に踏み込んだ。
当時は、大切な荷物はヤマトでそうでないものは他社、というように使い分けていた荷主が多かった。ヤマトは「高いけれど安全、確実」なブランドだった。そこに「値を下げてでも荷物を増やせ」の一斉営業活動開始。「安くてもヤマトの品質ならば」と、多くの荷主が鞍替えをした。宅配便の価格破壊を招いたのは、ほかならぬヤマト自身である。
安くして扱う荷物の数が増えても、必死に今までと同じ品質を守る。負担はすべて現場にシワ寄せがくる。ドライバーは疲弊し、ケガや離職も発生し、残るメンバーがますます苦しくなる。そうして負のループに陥っていった。
ヤマトは我なり
「ヤマトは我なり」という言葉が社訓の一つにある。まさしくドライバーは制服を着た瞬間に私人、一個人ではなく「ヤマト」になる。よくも悪くもこの言葉がヤマトブランドとして、ドライバーの心と体を縛る。ヤマトのドライバー一人ひとりが「宅急便を担っている誇り」を持っている。だからこそ苦しい。
「高品質の宅配」をやめてなりふり構わぬ価格競争に飛び込んだ結果、「高くてもヤマトに頼みたい」と思うロイヤルカスタマーの要望に応えきれない現状を生み出してしまった。2019年に創業100周年を迎えるヤマト。この会社が抱えている問題は、自らが招いたからこそ、また長い歴史に基づいた信頼と実績があるからこそ、一朝一夕には解決ができない困難なものだ。
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