戦争秘話、日独往復に成功した潜水艦の奇跡 「伊8潜」がもたらした電子立国・日本の礎

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

日独をつなぐ残された唯一の手段

Q1. 戦時中、日本軍の潜水艦がドイツまで往復したのは本当ですか?

本当です。正式な作戦名を「遣独(けんどく)潜水艦作戦」といい、太平洋戦争開戦の翌年1942年から1944年まで、計5回行われました。

そのうち、3回は往路の終着点であるドイツ占領下のフランスまで到達できましたが、日本まで無事帰還できたのは第2次の「伊8潜」による1回のみです。

Q2. この作戦の目的は何ですか?

日独双方の「軍事技術にかかわる特殊物資の輸送」と「人員の送迎」です。

戦争の激化に伴い、ドイツは貴重な南方資源の入手ルートであるインド洋方面で苦戦していました。そのため、同盟国である日本に最先端の軍事技術や「Uボート」など兵器の供与を行うことで協力を得ようとします。

これらを渇望する日本は、軍や外務省の連絡員、技術者や要員等を、南方資源とともに潜水艦で輸送しました。

Q3. なぜ潜水艦が使われたのですか?

「それしか有効な手段がなかった」からです。

日独を結ぶ海上ルートは、その大部分が連合軍に制海・制空権を奪われ、一般の船舶による輸送はほぼ不可能でした。

潜水艦であれば、こうした危険区域を潜航することで、昼間でも敵に発見されずに航行できたのです。

Q4. ほかに連絡手段はなかったのですか?

無線、陸路、空路を使う手段も考えられました。

しかし、暗号を使った無線連絡はすべて連合国側に傍受されたうえ解読もされており、シベリア鉄道を使った陸路連絡はドイツのソ連侵攻により不可能となりました。

当時世界最長の航続距離を持っていた国産飛行機「A26」による空路連絡も計画されました。しかし、日ソ中立条約下でのソ連上空を通過する北方ルートは使用が躊躇され、距離が長いうえ敵との交戦空域を通過する南方ルートが実行されましたが、「A26」はシンガポール出発後に消息を絶ち、断念されました。

Q5. 往復に使用されたのはどんな潜水艦ですか?

「日本海軍の主力潜水艦」です。

往復に成功した「伊8潜」は巡潜3型、ほかの4回(伊30潜、伊34潜、伊29潜、伊52潜)は巡潜乙型です。

いずれも全長100メートルを超える駆逐艦並みの大型艦で、乗員約100名、魚雷発射管6門、水上偵察機1機を搭載し、水上航続距離は2万5000キロを超える高い性能を誇りました。

ただし、乗員たちにとって艦内の生活は、非常に厳しいものでした。

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