戦争秘話、日独往復に成功した潜水艦の奇跡 「伊8潜」がもたらした電子立国・日本の礎

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Q10. 作戦から帰投後、休暇はもらえるのですか?

勤務日数に応じて保養所での休養が許可されました。

帰投した港が佐世保の場合は嬉野(うれしの)温泉、横須賀は熱海温泉、呉は湯田温泉、舞鶴は山中温泉など、それぞれに置かれた乗員用の保養所が利用可能でした。

国内に限らず、保養所は南方占領地のペナンやスラバヤ基地にもありました。

荒波を乗り越えドイツ領に到着

Q11. 「伊8潜」はドイツまで、どのような航路をたどったのですか?

南半球を経由したインド洋ルートです。

1943(昭和18)年6月1日夕刻、呉を出港した「伊8潜」は、途中マレー半島のペナンでドイツに運ぶ南方資源を積み、そこからインド洋、アフリカ最南端の喜望峰を通り大西洋へ抜けます。

そして呉出港から92日後の8月31日、当時ドイツ領のフランス・ブレスト港に到着しました。任務は「極秘」とされていたため、艦長の内野信二中佐が乗員に行き先を告げたのは「ペナン出港時」でした。

Q12. 航海は順調だったのですか?

非常に幸運なことに、敵の哨戒区域を通過しながらも、懸念された敵からの攻撃は受けずに済みました。

ただし天候には恵まれず、大荒れのインド洋では乗員は船酔いに苦しんだようです。

古来、船乗りたちに恐れられたアフリカ喜望峰沖の暴雨帯「ローリング・フォーティーズ」では、飛行機格納筒を破壊され、船体に3メートルの大穴が開いてこれを決死の作業で修復するなど、苦労の連続でした。

Q13. 「伊8潜」のドイツ滞在の期間は?

約1カ月(37日)です。

ドイツ軍からの歓迎を受けたのち、乗組員は物品の陸揚げと艦の修理に従事するなか、約40人ずつが交代でブレスト郊外にある古城・トレバレス城を改装したドイツ海軍の潜水艦乗員保養所で静養しました。

普段の宿舎も港に程近い旧フランス海軍兵学校兵舎の歴史ある建物で、毎夕食後には街まで送迎のバスが出て買い物などを楽しみました。さらに、乗員たちは前後2班に分かれてパリにも招待され、ベルサイユ宮殿、凱旋門、エッフェル塔、ノートルダム寺院なども見物し、艦長と士官はベルリンも訪問しています。ただし、一行はたびたび空襲警報により防空壕への避難を余儀なくされました。

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