戦争秘話、日独往復に成功した潜水艦の奇跡 「伊8潜」がもたらした電子立国・日本の礎
Q17. ドイツから持ち帰ったもので「最も重要」だったものは?
「レーダー装置」(ウルツブルグ)と「Me262」設計図です。
ウルツブルグは高射砲と連動させて使用する敵機標定用レーダーとして作られ、次第に激化する米軍の日本本土爆撃に対抗するために不可欠な兵器として開発が急がれました。
ただし、当時世界最先端のこのレーダー装置は、随所に未知の高い技術が用いられ、ドイツとの工業技術のレベルの違いを痛感させられました。
それでも日本人技術者は、物資の不足に加え空襲の脅威が迫るなか努力を続け、終戦間際に試作品を完成させ、実際にB29爆撃機の撃墜に成功したといわれています。
しかし、ウルツブルグの実用量産がかなわないうちに終戦となり、これらの製品と図面はほとんど処分されました。
日本人の手によるレーダー開発はこうして幻となりましたが、その過程でもたらされた電子管やパルス発生の技術は着実に継承され、今日ある「電子立国日本」の礎を築きました。
「Me262」はメッサーシュミットジェット戦闘機です。
この設計図は、完全な形で日本に届けられませんでしたが、1944(昭和19)年からこれらの設計図を基に、陸軍は「火龍(かりゅう)」というジェット戦闘機(最大速度時速852キロ、30ミリ機銃2門、20ミリ機銃2門装備、800キロ爆弾搭載可能)を、海軍は「橘花(きっか)」(ターボジェットの推進力不足から爆弾搭載型のみ試作)を製造しました。
「橘花」は最終的には特攻兵器として開発が進められましたが、戦後、わが国の飛行機生産技術に貢献したジェット機となります。
「歴史に学ぶ」ことの大切さ
日本への帰投を果たした「伊8潜」はその後、再び戦場へと戻り、インド洋で通商破壊作戦に従事したあと、1945(昭和20)年3月31日に沖縄方面で米駆逐艦の爆雷攻撃を受けて浮上、激しい集中砲火を浴びて沈没します。生存者は1人のみでした。
戦後72年を経て、かつては戦争の当事者だった私たち日本人も、近年ではその記憶が徐々に薄れてきています。
しかし、現代の「平和な日本社会」と「先進国の一員としての立場」は、戦争による大きな犠牲と、「その惨禍を二度と繰り返すまい」と誓った生き残った人々による復興と平和への強い意志が土台となって築かれたものです。
夏は「歴史の季節」です。書店に足を運ぶと、「戦争関連の歴史書のコーナー」が作られていると思います。
皆さんが興味のある人物・事件・題材、何でも構いません。それらをきっかけに歴史を学び直し、「戦争の悲惨さ」と「平和の尊さ」を次世代にきちんと伝えていける、「歴史から学んだ教訓を、自分の言葉で語ることのできる大人」になってください。
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