戦争秘話、日独往復に成功した潜水艦の奇跡 「伊8潜」がもたらした電子立国・日本の礎
Q6. 潜水艦はどのような勤務体制だったのですか?
前述の巡潜乙型を例にすると、1回の作戦行動で通常60日の航海です。
出港後は乗組員全体を3班に分け(3直配備)、各班は2時間勤務後に4時間休憩となる6時間単位のローテーションを延々と繰り返しました。よって、まとまった睡眠はとれず、乗員は皆「慢性的な寝不足」です。
戦闘時や緊急時は、総員配置の命令とともに乗組員全員が所定の担当部署に配備(第1配備)となりました。
恵まれていたのは食事だけ
Q7. 休憩時間はどう過ごしていたのですか?
基本的に「睡眠」です。
碁や将棋、読書など室内での娯楽もありましたが、艦内酸素量の消費を抑えるため、潜水艦の乗員は不必要に体力を使わないようつねに気を配っており、その最良の方法が睡眠でした。
非常に窮屈ながら、艦内にはほぼ定員数のベッドが装備されていたため、プライバシーもわずかですが確保されていました。
ちなみに、ドイツの「Uボート」には乗員分のベッドはなく、不安定な折りたたみ簡易ベッドや魚雷発射管室の空いた場所でハンモックを吊るすなど、条件はより劣悪だったようです。
Q8. 食事はどんなものだったのですか?
食事については、戦艦などの水上艦艇よりも優遇されていました。
潜水艦乗務は非常に過酷なため、可能なかぎりで生鮮食料品をはじめ多様な食材が配給され、主食も水上艦で一般的だった米麦飯ではなく白米という配慮がなされていました。
ただ、潜水艦に搭載できる冷蔵庫は貧弱なため、生鮮食品は出港後10日ほどで尽き、その後は缶詰や乾物が中心でした。
調理は火を使わず、炊飯、煮る、焼くがすべて1台で可能な「電気烹炊器(ほうすいき)」で行われました。ちなみに潜水艦では火の使用は厳禁で、現在でも海上自衛隊の艦船では蒸気での炊飯が実施されています。
Q9. 空調設備などはあったのですか?
ほとんどないに等しい状態でした。
浮上航行中は艦橋ハッチから外気が取り込まれる仕組みにはなっていましたが、潜行中は換気ができずにどんどん空気が汚れ、温度30~40度、湿度85%以上、炭酸ガス濃度3%、これに油や体臭などの臭気が加わるというのが常態でした。
天敵となる敵の駆逐艦の追跡を受けた場合は最悪で、「伊11潜」は1943年に、深度150~200メートル、気圧2、温度40度、湿度100%、炭酸ガス濃度6%の環境下で、約2日半の潜航を余儀なくされたこともありました。
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