最後に、コメントの書き込みでバレるのが「実は私(書き手)のことが大好きだ」ということである。
「憎悪」は「愛情」の裏返し
「ブォーケ!! ヴァーカ!!」という罵詈雑言から始まり、「この内容で原稿料もらえるのか」という余計なお世話、「記事そのものが二流以下」「読んで損した気分になりました」などと、私のもろく繊細なハートを傷つける言葉を投げかける人たち。
しかし、「もう絶対に読まない!」と書いているのに、その後も「またムーギー君か! 読んで損した! もう読まない!!」と、毎週のように熱烈な反応をしてくださる、隠れ愛読者のみなさん。
これでは「実は内心、このグローバル・エリートのファン」であることが、バレてしまっているといわれても仕方ないだろう。
「1流の人は、いつものように中身のない記事だと予測して読まない」や「一流はタイトルだけで記事の内容を察して、コメント欄を読みにリンクを踏む」などと、まるで「私のコラムなど読まない」ことがステイタス・シンボルになっているかのような書き込みっぷりだが、それが単なる強がりなのは、お天道様がお見通しである。
実は何度も何度もにやけながら読み返し、「やばい、内心好きかも、この著者のこと」などと心が乱れているのは、透け透けにお見通しなのだ。
「愛情」の反対は「無関心」とは、よくいったものである。「憎悪」の陰には「愛情」が潜んでいるものなのだ。
私に手厳しい言葉を投げかけつつも、それでも毎回読み込んで熱烈な反応をしてくださる方々は、「思春期前の男の子が好きな女の子の悪口を言ったりいじめたりする」のと同じである。
結局、熱心にコメント欄に書き込んでいる人ほど、「実は私のことが大好き」なことが、バレバレにバレてしまっているのである。
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