それでは、一流のコメントを書く人には、どんな共通点があるだろうか? 一流の人ほど、以下の3つの特徴を有している。
「一流の書き込み」3つのポイント
一流のコメント書き込み者は、「これを書いたら多くの人が賛同して、『いいね!』を押してくれるだろう」という、寂しがり屋根性を丸出しの承認欲求でコメントを書き込んだりしない。
先日、ヘイトスピーチをしていて逮捕され、その後反省して反・ヘイトスピーチの活動を始めた人が、「過激なことを叫ぶほど、『仲間』にもてはやされて、それが自分の居場所になっていた」と、ヘイトスピーチの動機を述べていた。
同じように、一流の人ほど、「この批判をすれば同調者が増えるだろうな」という理由で、「寂しいヘイトコメント」で残すようなことはしないのである。
一流のコメント書き込み者は、そもそもメディアリテラシーが高い。
つまり、この記事にまつわるステークホルダーを想像し、どのような目的と動機、そして制約の中、絶妙の綱渡りをしているか大人の事情を察してくださるのだ。
そもそも、この記事が達成しようとしている目的は何で、その副作用は何なのか。
そしてなぜこのコラムが、ビジネス書大賞まで受賞した『最強の働き方』と、私が真剣モード全開で毎週シンガポールから直送している「グローバルメールマガジン」と芸風が180度も違うのか、深読みする能力に長けていらっしゃるのだ。
そして、一流のコメント書き込み者ほど、実は安心してこの「最強の働き方」コラムを読んでおられる。
本記事が、本日もアクセスランキングで圧倒的に1位を獲得するなど(全然外していたらゴメンナサイ)、絶大な支持を受けているのは、とりもなおさず子どもも大人も一緒に楽しめるという、ドラえもんやサザエさんもビックリの安心感があるからだろう。
日本文化が重視する歌舞伎や能と同じく、「型と格式を重んじる伝統芸」の世界にこのコラムが到達していることを内心、慈しんでくださっているのだ。
最初に「3大欠陥」を述べたあと、次に追加的に「一流の秘訣」を書き、最後「自分こそに二流」とへりくだって、最後は「実は私こそ二流」と締める。
その「またか!」という突っ込みとともにくる、「チャーリー浜」にも通じる安心感が私の記事の神髄だと看破されているのだ。
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