ベトナム原発計画中止で無視される「民意」 史上最悪の海洋汚染事件と重なる「構図」
「原発は安全だと聞いていたから、なにも心配はしていませんでした。(移転予定の)新しい土地は水が出るし。先祖の墓を移す必要がなくなったのはよかったけどね」
日本で起きた震災と事故から、村には原発を不安視する声もあった。ただし、グォーさん聞くとそれはごく一部で、期待していた賠償金を手にできずに「残念がる人が多い」と笑う。この村では原発の“安全神話”は健在なのである。
原発計画自体についても、村民には中止ではなく、一時的な停止と伝えられたそうだ。理由は資金難とだけされ、将来の建設再開に含みを残した説明だった。
「国家の発展のためには原発は必要だと思います。前のグエン・タン・ズン首相のままなら原発はできていた。前と今の指導者で、考え方の違いがあるのでしょう」
グォーさんはなにも水を向けていないのに、「国家」と「指導者」いう予期せぬ言葉を持ち出して話を終わらせる。原発計画は始まりも終わりも、結局は民意の及ばない別の場所で決定が下されていた。
権力闘争が止めた原発計画
ベトナムの原発は2009年、ズン前首相が主導し建設が決定された。ちなみに凍結されているが、日本の「新幹線」方式による高速鉄道計画もズン首相が積極的に推進したものだ。
ズン氏は2006年に首相に就いて以来、環太平洋連携協定(TPP)への参加など、成長を重視した経済・社会改革を推し進めた人物である。おそらく1986年のドイモイ以降に登場した、最も急進的な「改革派」政治家だろう。
しかし、そんな速すぎる改革開放路線に対し、共産党のグエン・フー・チョン書記長を中心にした「保守派」は警戒感を強める。党書記長に加えて国家主席も兼務すると憶測が流れたズン氏だが、党内からは権力集中に反発する声も沸き上がっていた。
昨年の意表をついたズン首相引退は、一党独裁を維持したい共産党体制下で展開された激しい政治抗争、権力闘争の末の「事実上の失脚」と見られている。
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