プロテスタントの教えでは、神の導きがなく、選択の自由を得たとしても、その選択の責任は自分にあると説かれています。自らの選択によって失敗したら、その罪は自分で贖う──つまり、自己責任だというわけです。
こうした考え方は、プロテスタントである米英人には比較的すんなりと受け入れられるのですが、日本人は自己責任の原則と言われてもピンときません。それは、日本人の多くが無宗教で、自己責任という概念がないからかもしれません。
経済学も、非合理的なもの
宗教的バックグラウンドがある、米欧の経済学者たちが築いてきた経済学に、道徳観や宗教観が反映されているのは無理もないことです。しかし、そうしたベースがない日本の学者が、その理論に染まるのは不思議ですし、それを無理やり日本経済に当てはめようとするのはあまりに不可解です。
経済学は宗教観や道徳観から来ている──そうである以上、経済学は「非合理的なもの」だと言わざるを得ません。物理学や化学には明らかな法則や答えがあり、その法則を曲げるような事象はありません。
しかし経済学などの人文科学・社会科学のジャンルには「100%これが正しい」という法則や答えがない。いろいろな意見があり、どれが正しいのか、神学論争のようなことが起きているのです。
だからこそ、「ノーベル賞経済学者」のような「権威ある人」が言ったことが盲目的に信じられてしまい、たとえそれが間違っていたとしても、そのまま受け継がれていくのです。
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