経済学の祖は、『道徳感情論』『国富論』を著したイギリスの哲学者アダム・スミスだとされています。経済学が宗教的なものと相通ずる部分を持っているのは、このあたりに背景があるのではないかと私は思っています。
プロテスタントの精神とは、つまることろ自己責任
たとえば、アダム・スミスが『国富論』の中で書いた「神の見えざる手」についてです。これは、各個人がそれぞれ利己的に行動しても、全体としては社会全体に利益がもたらされるよう、調整機能が働くという話です。
アダム・スミスはプロテスタントの信仰者にして、勤勉な道徳家でした。プロテスタントはカトリックと異なり、人間を徹底的に無力化することを教えとしています。「人間は神の前では無力だ」「神に導かれるまま、人間は生きていくしかない」というのがプロテスタントの基本的な考え方です。
私は、アダム・スミスが語った「神の見えざる手」には、間違いなく「神の前では人間は無力だ」というプロテスタントの精神が、反映されていると考えています。
アダム・スミスが経済学の祖なのだとすれば、現在の主流派経済学にはプロテスタントの宗教観や道徳観が入っているでしょうし、そこに宗教的な要素があっても不思議ではありません。
実際、ジョージ・ブッシュ米大統領(当時)が、経済学者のミルトン・フリードマンを賞賛するスピーチをしたときにも、「ミルトン・フリードマン先生は、道徳的なビジョンを推し進めることに大変に力を尽くされました」という言い方をしています。私はそのときにも、アメリカ人にとっては、道徳と経済は一体のものとして理解されているのだなと感じました。
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