かつて、結婚とは、生きていくうえで必要な社会的共同体システムであり、結婚する個人の責任というより社会の責任という意識がありました。だからこそ、適齢期の若者に対しては、地域や親族が釣り合いの取れる相手をマッチングしてくれるお見合い結婚が有効に機能していたのです。
お見合い結婚が恋愛結婚に逆転されるのは1960年代ですが、その後大きな構成比を占める職場結婚も、恋愛結婚というより、「社会的お見合いシステム」の一環でした。つまり、企業によってお膳立てされていた結婚だったのです。男性社員が早くから結婚し、家族のために粉骨砕身働く気になってくれたほうが、企業側からしてみても望ましかったわけですから。
ところが、そんな職場結婚も1990年代以降激減します。それは、結婚の意思決定の自由を個人が獲得した反面、社会的な共同体の支援が失われたことを意味します。そうなると、特に女性側が自己の最適化を考えて相手の男性を一層吟味するようになり、条件がより厳しくなるのは当然です。
これは、経済学における「マッチング理論」でもいわれていることですが、お互いが自己の最適化を図ろうとすると、かえって全体のマッチング数は少なくなってしまうのです。お見合い結婚は、情報量が限定されていて個人の選択余地が少なかったのですが、だからこそ当時の驚異的な皆婚が実現できていたといえるのです。
「女性活躍」するほど女性の未婚化が進む皮肉
このように、未婚化の要因は決して男性の経済問題だけではなく、女性の経済的自立や選択自由度の拡大が影響しています。特に働く女性にとっては「無理や妥協してまで、条件の悪い下方婚をする必要がない」というところでしょう。
「結婚したい」「子どもを産みたい」と思っている働く女性は大勢いるでしょう。しかし、バリバリ働く女性であればあるほど、仕事の優先順位を下げてまで結婚に貪欲に突き進むモチベーションが喚起されないのではないでしょうか。そのうち、自分自身が仕事で成果を上げれば上げるほど、自分の年収も上昇し、ますます「上方婚」として結婚相手のハードルが高くなってしまうという悪循環に陥ります。そうして、気づけば40歳。独身女性の場合、出産を諦めた時点で、結婚もまた諦めるという傾向があります。
そう考えると、現在、政府が掲げる「女性が活躍する社会」が実現すると、皮肉にも生涯未婚の女性が増大することになるのでは? そう思わざるをえません。
幸せになるために、一生懸命勉強して、いい会社に就職して、仕事でも成果を出せば出すほど、女性が結婚から遠のいていくのです。もちろん、幸せの形はさまざまですが、仮にいつか結婚したいと思っていたとしたら、いったい何の罰ゲームでしょうか? 一生懸命働く女性が、その働く意欲のために、結婚という道を閉ざされてしまうのだとしたら残念でなりません。
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