結局、日本人は努力の総量が足りない 伊藤穰一×波頭亮 (下)

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なぜ、日本企業や日本人は、グローバルな舞台で苦戦を強いられるのか。なぜ、日本からアップルやGoogle、Facebookのような世界を席巻するベンチャーが生まれないのか。今回は、この問いについて考えてみたいと思う。
ゲストは、日本におけるインターネットの普及に絶大な影響を及ぼした伊藤穰一氏(親しみを込めて、Joiと呼ばせていただく)である。デジタルガレージ、ネオテニー、クリエイティブ・コモンズ等々、次々と活動の場を広げていったJoiは、日本という枠組みを超え、インターネットというオープンな文化、そして世界というフィールドに活躍の場を見いだしている。
そのJoiが、MITメディアラボの所長に就任し、今再び日本に目を向け始めている。彼の目から見た日本、日本企業、日本人はどう映っているのか。また、自身の経験と照らし合わせて、グローバルな舞台に出ていくというのはどういうことなのか。日本の次代を担う若者にぜひ耳を傾けてもらいたい。

※対談の(上)はこちら

教育とラーニングの決定的な違い

伊藤 日本と米国は、教育とラーニングという違いがあるんじゃないかと思う。出題者が求める答えを返すと満点になるのが教育で、出題者の意図とは違うけれど、出題者をひっくり返すほどの答えなら満点になるのがラーニング。日本はまさに教育国家でしょう。権威にいかに従うかを教えている。規格品をつくる工場労働者を育成するためには必要かもしれませんが、多様化の時代になり、オリジナリティが求められるようになると、権威に従う人材より「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材のほうが重要です。

波頭 メディアラボでは、どういうカリキュラムになっているんですか?

伊藤 1人ひとりが自分でやりたいことを決めます。先生は学生をコーチングするという役割で、主体はあくまでも学生ですね。興味があることだから、積極的に、深く勉強する。でも日本では、興味があるから勉強するというより、「○○大学卒業」というブランドを手に入れるために勉強していますよね。そういう土壌からは、やはりオリジナリティは生まれにくい。

波頭 何かに興味を持って、探求したいという意志を持っている学生には、どんどん好きな方向に行かせるべきだと私も思いますね。幕の内弁当みたいな決まりきったカリキュラムセットを全員にやらせる必要はまったくない。

伊藤 もう1つ思うのは、日本のインダストリー同様、教育までもが縦割りになっているということです。メディアラボでは、学生や教師も含めて、1つの専攻でずっと来ている人間はおそらく1人もいないでしょう。みんな2~3回専攻を変えています。

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