結局、日本人は努力の総量が足りない 伊藤穰一×波頭亮 (下)

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波頭 もう1つ感じるのは、集中力の差です。日本にも徹夜や、週末返上で研究したり、働いたりする人間はいますが、集中力が全然違う。米国のエリートの集中力の高さは並みではありません。

伊藤 1980年代、学生運動が失敗した後くらいからだと思うんですけれど、日本では一生懸命にやるのがカッコ悪いという風潮が出てきましたよね。努力を見せず、軽くこなして成功するのがカッコいいというような。その影響も多分にあるのかなと思いますね。米国には、まだ一生懸命にやることが成功につながるという伝統が息づいていますから、1つのことに没頭したり、寝食を忘れて集中するということに偏見はありません。

波頭 どちらもある物事に執着して一生懸命になるという意味ですが、米国でよくいわれる「ギーク(geek)」と日本の「オタク」の評価はずいぶん違います。ギークにもほんの少しネガティブなニュアンスもあるようですが、9割方はポジティブ。一方、オタクとなると9割方はネガティブなニュアンスです。憧れられるギークと揶揄されるオタクでは、情熱的に1つの物事に没頭することに対する社会の評価がまったく違うのでしょうね。

建設的な議論か、隷属的な追随か

波頭 先ほどJoiが、他人の意見に対して「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材が重要と言いましたが、オリジナリティを養成するためには非常に重要なポイントだと思う。日本では建設的なクリティカルシンキングやクリティカルディスカッションが弱いんです。権威に従属するか、さもなくば徹底的にこき下ろすか。議論を戦わせて互いに考えを深めるということができない。

伊藤 権威を疑うと同時に、そうでなければどうすればいいのかと自分で考えるコンビネーションが重要なんだと思います。

メディアラボでも、学生たちは「それは違う」と意見をぶつけ合っています。それはある種の格闘技みたいなもので、当然勝ち負けはあるんですが、それがまた自分たちのためにもなると考えられている。ディベートが健康的なスポーツのように捉えられているんですね。

波頭 メディアラボのような研究機関では、自由闊達な意見のバトルが非常に重要ですよね。ところが、日本の研究機関や教室では、先生が主張している仮説に反論を試みようものなら、多くの場合浮いてしまう。

数学の天才ピタゴラスは、無理数の存在を証明した弟子を殺してしまうという過ちを犯したとされていますが、日本ではそのような過ちをいまだに繰り返しているようです。正しいことに対する敬意、あるいは違うことを言うことの価値が、日本ではまだ十分理解されていない。

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