22年のプロ野球人生で、中村が生涯最高と振り返る当たりは2001年9月24日、大阪ドーム(現・京セラドーム)で松坂大輔(現クリーブランド・インディアンス)から放った1打だ。5対6でリードされた9回1死1塁、シーズン55本塁打で王貞治の日本記録更新に王手を掛けていたタフィ・ローズが打席に向かった瞬間、ウエーティングサークルの中村は珍しく弱気だった。
「王さんを抜いて、日本記録でサヨナラ勝ちになったらええやん。ローズ、何とか打ってくれ!」
しかし、ローズは三振に倒れる。悔しそうな同僚の表情を見た瞬間、中村の頭は「打てる」と切り替わった。どうすれば、右方向に大きな打球を飛ばすことができるか。相手の配球を即座に考え、松坂が2球目に投じた球速144kmのストレートをライトスタンドに突き刺した。劇的な勝利を飾った近鉄は、優勝マジックを1とした。
「僕の運は、持って生まれたものだと思います。それを人に教えることはできない。ただ、『こうやって考えたほうがいい』とアドバイスすることはできます。考え方がわかれば、確率的に10回のうち7回ある凡打の数が減っていく。『ここで打てば』という勝負どころで、結果を出せるようになる。ポジティブな映像をイメージしながら、いかに打席に入れるか。僕はいつでも『打てる』と思っています」
運を引き寄せる秘訣
運を呼び込むために、中村は相手と巧妙な駆け引きをしている。プロ入り4年目の1995年に初の2ケタ本塁打となる20本を記録すると、「右方向へ、左打者が引っ張って打つような打球を打ちたい」と考えるようになった。
「内角には球がなかなか来ないから、引っ張ってばかりではホームラン王を取れない。外角の球をライトスタンドに打てば、ピッチャーも配球を考えるでしょ? そうやって頭の中で相手と戦っているわけです。右バッターが左に大きい当たりを打つのは簡単。誰でも右方向には打てるけど、ホームランは打てない。左バッターが引っ張ったような打球というのは、それくらいでないとホームランにならないからです。そこがフルスイングとつながってくる」
中村の代名詞とも言われるのが、フルスイングだ。愚直なまでに自身が正しいと信じる道を歩いてきた中村は、興味深いエピソードを自著『noriの決断』で明かしている。
高卒ルーキーの頃、コーチに「今の打ち方では1軍では通用しない」と言われると、「じゃあ、1回上げてください。1軍バリバリのピッチャーのスピード、キレを見せてください」と反論した。あきれたコーチに「もうお前には教えん」と言われ、「わかりました。自分ひとりでやります」と決裂した。中村は自分で納得するまで、挑戦したかったのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら