基本がおろそかな選手がいても、中村は何も声をかけないという。
「言う価値なし、ですから。そういうのは早く2軍に行ってほしい。2軍でもっと練習して、試合に出て。まだ、1軍の試合に出るレベルではないということです」
中村が厳しい言葉を口にするのは、何より自身に妥協しないからだ。40歳になった今も、納得できない打ち方をすると睡眠時間を削って動画を確認している。
「打てなくても、打っても、自分の責任。あいつが打てなくて負けたとなれば、打てなかった者が悪い。だから日頃から、打てるように練習する。それが不安の解消法かな」
球界屈指の“紆余曲折”
世の中、理不尽なことはたくさんある。2000本安打まで残り32本で迎えた今季、中村は開幕から2試合連続でスタメンを外れた。将来の主軸と期待される、高卒4年目の筒香嘉智が起用されたからだ。
「球団が決めたことだから、こっちから『なんで出してくれないんですか?』と言う必要はない。それで勝てると思って出しているのだろうから、それでいいんです。でも、出る準備はしておかなあかん。自分がレギュラーを取るためには、どうすればいいかを考えるしかない」
筒香が2試合で8打数0安打に終わると、中村は3試合目から先発で起用される。グラウンドで結果を出し続け、チームに欠かせない戦力であることを示した。
中村が勝負どころで力を発揮できるのは、数々の修羅場をくぐり抜けてきたことが背景にある。球界で、これほど紆余曲折を経た実力者は珍しい。
2002年オフにはニューヨーク・メッツと契約寸前まで至ったが、直前で破談となった。04年には球界再編騒動で近鉄がオリックスに吸収合併される。中村はロサンゼルス・ドジャースと契約したが、翌年のメジャーリーグでの出場はわずか17試合にとどまった。日本球界に復帰したオリックスでは1年目の06年オフに契約更改で合意せず、07年は育成枠で中日から再出発する。09年にFA(フリーエージェント)で楽天へ移籍したが、10年シーズン途中に戦力外通告を受けた。「まだ自分はできる」と現役続行の意思を示したものの、他球団からオファーはなかった。
「プロ野球人生でいちばんツラかったのは、やっぱり浪人生活。『野球って仕事なんだな』と改めて感じましたね」
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