武田鉄矢「読書に実用性だけ求めても空しい」 世の中は確信に至る材料を集めすぎている
坂本龍馬がいなければ海援隊というバンドもない
本っていうのは面白い。皆さんも想像つくかもしれないけど、私の読書歴の始まりは司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』です。
18歳。高校3年の夏、非常にダイナミックなタイトルが目について本屋の書棚のその本を手に取ったのが何もかもの始まり。読んでみて、龍馬のでかさに驚いた。売れてるとか評論家が褒めてるとかは関係ない。
「この本は俺のために書かれたんじゃないか!?」とうぬぼれた。司馬遼太郎という人には会ったことないけど、この人は俺のために書いたんだって思っちゃった。
でも、そう思い込んだとき、1冊の本というのは最高の極意を伝える秘伝となるんじゃないかな。本というのは誰かが何か言いたいことがあったり、何かを発見したことを書くんですけど、その本の中から、さらに読者が独自に発見したことが、その人の人生を揺るがすようになっていく。
いい本というのは著者を書く。司馬遼太郎は坂本龍馬のことを書いたけど、逆にいうと坂本龍馬が司馬遼太郎という人を描いたといえる。そしてこの私も、坂本龍馬がいなかったら、司馬遼太郎さんの本に出合うこともなかったし、海援隊というバンドも組んでない。だって海援隊って龍馬が作ったわけだし。そう考えると本というものは人の人生を描いてくれるものだといえる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら