武田鉄矢「読書に実用性だけ求めても空しい」 世の中は確信に至る材料を集めすぎている
そのむなしさを説明するのにちょうどいい哲学者の言葉があります。「労働者が仕事にやりがいを見つけるためには、給料以上に働かないかぎりは湧いてこない」。残業をすぐ金銭に換算する人とか、オーバーワークを厭(いと)う人。それから自分の仕事と人の仕事を分ける人……要するに自分の家の前しか掃除をしないような人。そういう人たちに可能性はないっていう、この言葉にはショックを受けました。
でも、確かに日本人の労働観の根っこに「給料以上に働いてしまう私」がある。日本人って与えられた仕事の分しか働かない人をサボってると見なす。近頃、いろんな企業でミスが多いのも、オーバーワークが嫌われすぎているからじゃないかな。
時間になって帰る人は永遠にワーカーとしての生きがいを感じることができないんだ。
芸能界でもそう。大した役でもないのにぐずぐず現場に居残ってる役者って、プロデューサーの目に留まっていつの間にかいい役が付いてる。反対に自分の出番が終わってすぐに帰っちゃう人はいつの間にか消えていっちゃう。
メソッドしか伝えない本に似てない? 自分の家の前しか掃除しないとか、給料分しか働かない人たちに。100のハウツーのうち、70まで実現したからもうすぐ金持ちになれるって考えてる人生なんて、俺、なんか違うって思う。
進化とはやり繰り
クロード・レヴィ=ストロースというフランスの社会人類学者が、人間の特徴に「ブリコラージュ」があると言っています。この「ブリコラージュ」、なかなか日本語に訳すのに苦労する言葉みたいで、この言葉について語っている日本人の哲学者の先生は「繕い物」とか「やり繰り」と訳しています。
フランスでは日常的には「日曜大工」的な意味で使うことが多いみたい。要するに木の切れっ端や余った金具なんかで何かをでっち上げるようなことを「ブリコラージュ」って。
このブリコラージュは未開の人たちの中にもある。ジャングルの中に入ってわけのわからない木の実や目についた草花、動物の骨なんかを直感で拾い上げてとりあえず袋の中に入れて持ち帰る。
そのときはなんの役に立つかもわからない。ところがそれがあるとき急激に役に立つ瞬間があると。板に空いた節穴に木の実がちょうどはまったとか、折れた斧(おの)の柄の代わりに動物の骨がピッタリだったとか。
いまはまったくの無駄かもしれないけど何か役に立つかもしれないと思って拾う――人間を進歩させたのってこういう不思議な能力なんじゃないかな。つまり進化とは「やり繰り」だと思う。
知識も同じ、そんな木の実や動物の骨と。役に立てようと思って得た知識って、その目的の役にしか立たない。
でも、役には立たないけど直感が働いてなんとなく本屋の棚から手に取った本から得た言葉に10年後、ピンチを救われることってある。実用性ばかりを本に求めないで、広い分野の本を読んでおくことは無駄であることどころか、人生を豊かにすることなんだと俺は思う。
ゴジラが出てきたなんてときに『ゴジラが出てきたらするべき24のこと』なんて本を読んでたって遅い。それどころか、そんな本自体ない。でも、『地下鉄マル秘物語』なんて本を読んでたら地下鉄の線路をどう走れば安全なところに避難できるかがわかるかもしれない。メソッドより知識を大事にしたほうがいいというのはそういうことです。
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