「うちの嫁が」と言う男性には違和感しかない 土井善晴さんが訴える家の仕事の再認識
私が居候としてお世話になったのがボキューズの兄弟子(マルク・アリックス氏)だったので、ボキューズのレストランで働かせてもらったり、市場に買い物に行ったら本人と会って一緒に牡蠣を食べたりと、世界トップの料理人がその距離にいるのが日常だったんですよ。そうなるとやっぱり影響を受けて、完璧な料理を作りたい、一流の料理人を目指したいという気持ちが湧いてきましたね。
「漬け物をどう盛り付ければいいか全然わからない」
――世界の頂点を目指す一流の料理。家庭料理の真逆のベクトルですが、そこから日本の家庭料理に回帰したのはどういった経緯だったのでしょう。
フランスから帰国した後、父の調理学校(土井勝料理学校)をちょっと手伝ったんですが、あるとき父から「善晴、この漬け物を盛ってみなさい」って言われたんです。それでいざやろうとしてみたら、目の前のきゅうりとかの奈良漬を、何を手立てに、どんな器に、どう盛り付ければいいのか、そういうことがまったくわからない自分に気づいた。もう脂汗がダラダラ流れてきてね、怖くなってしまった。
今だったら「適当に盛ったらええねん」って思いますけど、そのときの私は自由に盛るということが怖くてできなかったんです。自分は和食の世界のことを何も知らないし、できないんだ、ということにそのとき初めて気付かされました。
そうしたらもう居ても立っても居られなくなって行動していた。京都の瓢亭の料理長の方が「瓢正」という料理屋をなさっていたので、「仕事をさせてください」とお願いしに行きました。
当然そんな急に行っても、なかなか働かせてはもらえなくて、他の料理屋さんにもお願いして伺ったんです。結局、大阪の「味吉兆」が北堀江に新店を開くということで、タイミングよく入れてもらった。
そこからはもう休みなんて全然ない、きっつい修行の日々でしたけど、だんだんとご主人からたくさんのことを学べるのが楽しくてしょうがなくなってきて。休みの日でもご主人が釣りに行くと聞いたら、喜んで車を運転してついて行きました。とにかく一緒にいれば話が聞けるし、知らないことを教えてもらえるから。今思えば若くて体力があったからこそできたことかもしれませんけどね。