「ゼルダの伝説」最新作は一体何が面白いのか 任天堂「スイッチ」と同時発売の人気シリーズ

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システム面では大きく変わった、これまでとまったく違うゼルダなのだが、僕が実際プレーしている感覚は、完全にゼルダの伝説シリーズなのだ。他のオープンワールドのゲームともまったく違った、ゼルダならではのシステムとゲーム感、双方の安定感はシステムが変わっても何も変わることはなかった。これはとても不思議な感覚だ。

僕のブレス オブ ザ ワイルドプレースタイルは、とりあえず高いところを探して登る。登れないように見える高い山もあるが、なんとなく緩めの斜面を見つけて、そこで立ち止まってがんばりゲージを回復させつつ進むことで、大抵の山には登れるようになっている。もちろん、失敗して転落死することも珍しくない。

いちばん上まで登ったらあたりを見渡し、祠や気になる場所があれば、そこまで一気にジャンプ。パラセールで滑空する。たぶん街道沿いを馬で走ったほうが速いし楽なのだろうけど、なぜか登りにくそうな山があると登りたくなるのである。気分は「山があるから登るのだ」で有名なイギリスの登山家マロリーだ。

初代からオープンワールド的だ

考えてみるに、ゼルダの伝説シリーズは、初代からオープンワールド的であった。初代もまた最初から大抵の場所に行ける仕様であった。もっともクリアはできないし、敵が強すぎてたどり着くことも困難だけれども。

そして、そうした自由さはゼルダの伝説シリーズに一貫している。あまりに自由すぎて、草を1つ残らずひたすら刈ることに命をかけてみたり、虫取り網をひたすら振り回したり、コッコとの死闘を楽しんでみたり。ゼルダの世界の中で僕たちはさまざまな自由を味わってきた。

旧作のゼルダの中で、1番の自由さの象徴だったのが、時のオカリナでの看板切りであろう。

剣を横に振れば看板が横に切れるし、縦に切れば縦に切れる。そして切れた看板が水に落ちればそれが浮く。ゲーム的に切った後に「切れた」という記号を置くのではなく、剣の軌道そのままに切れる。こうした細かいことの一つひとつが画面の中の仮想現実を、現実の手触りと変わらないものとして、僕達の楽しい遊び場にしてくれていた。

そう考えるに、ゼルダがオープンワールドというジャンルに進むのは必然であったといえる。ゼルダはオープンワールドの世界よりもずっと前から、シナリオはもちろんだが、それ以上に世界が僕達を遊ばせてくれていたのである。30年以上も前からずっと、僕たちはゼルダの伝説という世界の中で遊び続けている。システムは変わってもその本質は何も変わっていないのである。

赤木 智弘 フリーライター

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あかぎ ともひろ / Tomohiro Akagi

1975年栃木県生まれ。2007年にフリーターとして働きながら『論座』に「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」を執筆し、話題を呼ぶ。以後、貧困問題などをテーマに執筆。主な著書に『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』などがある。

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