ドコモ、インド「完全撤退」への遠い道のり 1300億円の受け取りでタタと合意したが…

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笑顔で提携の握手をする山田隆持元社長(2009年1月)。この握手が加藤薰前社長、吉澤和弘現社長と2代にわたって負の影響を残すこととなった(撮影:尾形文繁)

NTTドコモが積年の課題に終止符を打とうとしている。2月28日、ドコモは合弁相手であるタタ・グループが、ドコモの撤退に関連する賠償金11.8億ドル(約1300億円)を引き渡すことで合意したと発表した。撤退を決定して以降、どうしても回収できなかった賠償金をようやく手にする可能性が出てきたのだ。

ドコモは2014年に撤退を決めたが、タタ側は事前の取り決めに従わなかった。そのため、ドコモはロンドン国際仲裁裁判所に仲裁を申し立てたり、英国や米国でタタの資産差し押さえを強制執行するように申し出るなど、事態は泥沼化していた。

獲得した電波が割り当てられない!?

ドコモがインド進出を決めたのは今から9年近く前、2008年のことである。同年11月に現地の通信事業者であるタタ・テレサービシズ・リミテッド(TTSL)株の取得について、グループの持ち株会社であるタタ・サンズと合意。翌2009年3月に26%の株を2523億円で取得した。2011年5月に追加出資し、TTSLへの投資は計2667億円にのぼった。

「TATA DOCOMO(タタドコモ)」のブランド名で2G(第2世代の通信規格)によるサービスを開始したのは2009年6月だ。翌2010年には3G(第3世代の通信規格)サービスを開始。契約者数は出資前の2930万件(2008年3月。関連会社の契約者数を含む。以下同)から2014年3月には9800万件と3倍強となり、ドコモの日本の契約者数を軽くしのいだ。

一方、インド内で競争が激化。ネットワーク構築費用もかさみ、TTSLの業績は芳しくなかった。2012年度に723億円、2013年度に850億円と最終赤字額は拡大。2014年3月末は960億円の債務超過となった。獲得した電波が実際に割り当てられないなど、日本では想像もつかない事態にも見舞われたのだった。

「進出から5年をメド」としていたドコモは、2014年3月期の業績次第で撤退するための条項をサンズとの契約に盛り込んでいた。「TTSLの株を取得価格の50%か公正価値のいずれか高い価格で売却できる、買い手の仲介を要求する」権利だ。それが進出に当たってドコモが設定したリスク・ヘッジだった。こうした権利は、株を売る(=プット)権利(=オプション)なので、金融用語で「プット・オプション」と呼ばれる。

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