産業構造の変化と恐慌がきっかけ
アメリカには、ベンチャービジネスを支える仕組みとして、エンジェル投資家のほかにベンチャーキャピタルがあります。このベンチャーキャピタルがアメリカで生まれたのは、決して偶然ではありません。
その歴史は20世紀初頭までさかのぼります。1920年代の終わりごろから衰退の一途をたどるようになったアメリカ北東部のニューイングランドと呼ばれる地域の産業リーダーや大学が、努力の末に生み出したものなのです。
ニューイングランド地域は、産業革命の恩恵を受けて繊維産業を中心に繁栄してきましたが、1920年代に入ると産業の主役の座をデトロイトに譲るようになります。その背景には、自動車やラジオなど耐久消費財産業の急速な拡大がありました。そして、1929年の大恐慌は経済の衰退に拍車をかけました。
また大恐慌後は、新興ビジネスを支える金融にも大きな変化が起きました。一方では銀行がリスクの高いビジネスを避けるようになり、他方では安全な投資をうたう投資信託が拡大したのです。これによって、ハイリスクな新興ビジネス向けの資金供給は絶たれてしまいます。
ニューイングランドで産学の力が結集する
そんな中、「ニューイングランド経済の復活には、中小の新興ビジネスを支援し、新たな産業や雇用に結びつけるしかない」、と信じる人々がいました。彼らは産学の力を結集し、新興ビジネスの経営へのアドバイスと共に、そうしたビジネスの株式を購入します。失敗することもあるが成功すれば莫大な利益を得ることができる、今日のベンチャーキャピタルのビジネスモデルを作り上げたのです。
そして1946年にマサチューセッツ州ボストンで、ハーバード・ビジネス・スクールのドリオ教授が社長を務めるアメリカン・リサーチ・デベロップメント(ARD)というアメリカで初めてのベンチャーキャピタルが産声を上げます。
伝統的な銀行からは資金提供を断られながら、ARDの登場によって花開いたビジネスが、デジタル・イクイップメント社をはじめ数多くありました。それらは、「ドリオの夢工場」(『フォーチュン』、1967年8月)として知られるようになります。
では、アメリカ政府はベンチャーキャピタルの勃興と成長に、どんな役割を担ったのでしょうか。