「有名だから本を出せる」という大きな勘違い 普通の人でも作家になれなくはない
有名作家といわれる人は、有名だから本を出したのではなく、ほぼ例外なく本を出したことで有名になった人である。遠くは長谷川慶太郎氏、近くは池井戸潤氏も、本を出す前は無名の人だった。したがって、先の相談者の質問への答えは、常に「ノー、フツーの人で何ら問題ありません」である。
大物・有名人というとき、ビジネス書に限っていえば、次の2つのタイプに分かれる。
Aタイプ:本を出す以前に大物・有名人であった。
Bタイプ:本出したことで大物・有名人になった。
Aタイプは、財界のトップを務めたような大物経営者であったり、何らかの大きな実績をあげた人である。大企業の経営者もAタイプに入る。有名になった経緯がAかBかはともかくとして、大物・有名人作家の下には出版社が群がってくる。その結果、書店には大物・有名人の本が氾濫するため、世間の人々は、ますます本は大物・有名人が書くものかと思ってしまう。
しかし、Bタイプの大物・有名人は本を出す以前には無名の人で、本を出したことによって有名になったのである。そういうタイプの大物・有名人も有名人の半分はいるのだから、作家というポジションは大物・有名人の専権事項ではない。
作家主導から企画主導へ
そうはいっても、ビジネス書や実用書のような、やや専門性のある分野の作家がフツーの人になったのは、比較的最近のことなのである。70年代以前の出版界では、原稿は大先生から押しいただくものであった。そのころには、まだビジネス書という分野はなかったので、ビジネス書は法経書というくくりであったり、経営書という位置づけにあった。この頃の作家は、前にも触れたが、大学教授や有名シンクタンクの「先生」ばかりだったのである。
出版社は大先生の原稿をいただき、本にさせていただく立場である。「こんな原稿じゃ読者がついてきてくれませんよ」などとは、口が裂けてもいえなかった。こうした作家主導の出版が、企画主導の出版に変わっていく先鞭をつけたのは、ここで何度も紹介している光文社のカッパブックスをつくった神吉晴夫氏である。
今日のビジネス書の編集スタイルは、カッパブックスの成功から始まっている。ビジネス書の出版というのは、80年代以降、大先生の専売特許からフツーの人の表現手段へと進化したのである。しかし、いまや出版の市場規模は、神吉氏の時代から半減してしまった。斜陽産業となった出版界では、企画主導から再び作家の名前に頼る傾向に拍車がかかっている。最近の出版界は、むしろ神吉氏以前の時代へ先祖がえりしているように見える。