「学習障害」が放置される、教育困難校の現実 単なる「高卒資格」だけでは何も担保できない

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また、「教育困難校」には、就職試験が解けないというレベル以前の生徒も残念ながら在籍している。九九が全部言えない、分数計算ができない、四則計算もあやふやな生徒もいる。実は発達障害、学習障害を抱えているケースがあると思われるのだ。

クレぺリン検査でわかることも

ある時、高校3年生のクラスでクレぺリン検査を実施した。クレぺリン検査とは、ランダムに並んだ1ケタの数字列があり、その隣り合った数字を足した数の下1ケタの数字を答え、1分ごとに下の列に移りながら、合計30分行うものである。「教育困難校」では途中で足し算に飽きてしまう生徒、集中力が途切れて誤答を書く生徒は珍しくないが、ある男子生徒は2つの数字の足し算を暗算ではできずに、余白に計算を書き、さらに下1ケタだけでなく和をそのまま書いていた。問題の求めるものが最後まで理解できなかったのである。

このような生徒は勉強を怠けていたからできないのではない。実は発達障害、学習障害があり、それを高校生まで周囲に気づかれず、何のサポートもされなかった生徒である可能性がある。最近、このような障害についてようやく認知度が高まり、こういった生徒を対象にした高校が地域によっては設けられつつある。しかし、その数はまだ少なく、また保護者や生徒自身にそのたぐいの高校への進学に対する抵抗感も強い。そのため、本来なら療育が必要な生徒が、倍率の低い、または定員割れをしている「教育困難校」に多数入学している。

彼らが就職を希望すると、学習に何も困難がない高校生と同じ土俵に立つことになる。到底、太刀打ちできず、何度も就職試験に落ち、もともと低い自己肯定観を一層低くしてしまうことにもなる。就活に苦しみ、自信を失い、自傷行為や引きこもりを引き起こす大学生が話題になることは多いが、高校の段階で同様の試練を受け、まして、そこには気づかれない障害がある実例は、なぜか社会的な問題にはされない。

これまで述べたように、今の日本では、高卒の「資格」に義務教育段階の学力の保証すら見ることができないのが現状である。彼らに、社会で普通に生活できるレベルの基礎学力をつけさせたいと考え、日々奮戦している良心的な教員は少なくない。しかし、生徒のこれまでの成育歴の中で育まれた性格や価値観、先天的な病気や障害といった大きな壁に阻まれ、教員はほとんどの場合、敗北している。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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