「学習障害」が放置される、教育困難校の現実 単なる「高卒資格」だけでは何も担保できない
社会に出る際の最低限のパスポート
「教育困難校」にとって最大の存在意義は、何か。それは、どのような3年間を過ごしたかはともかく、生徒に高卒の「資格」を授与することであろう。現在の高校は、高校受験の際の学力によってきっちりと類型化され、それぞれのグループによって学力面や体験面、また、自己認識や自己肯定観の面でも実に多様となっている。極論すれば、高卒生に共通することは、高校という場にともかく3年間在籍し、各高校で定めた卒業に必要な単位を取れた、ということだけだ。
今の日本では、アルバイトの場でも高校生以上、正社員での就職ではほとんどが高卒以上の学歴を求められる。「教育困難校」の生徒たちも、とにかく高卒という「資格」を取りたいと思っている。ただし、「できるだけ楽をして」という付帯条件もあるが。いずれにせよ、高卒という「資格」は、社会に出る際の最低限のパスポートともいうべき存在になっていることは、明らかな事実だろう。


















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