耕作放棄地に緑を!農業界の異色経営者 新世代リーダー 西辻一真 マイファーム社長

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結局、農業関係の協力者を得ることに成功。契約してくれる農家が少しずつ増え、しだいに体験農園は軌道に乗っていった。

しかし、西辻さんは体験農園で終わらせるつもりはなかった。体験農園はユーザーのいる都市部でしか成立しない。地方も含めて就農人口を増やすためには、次のステージが必要になる。そこで西辻さんは第2ステージとして、就農を志す人に農業を教える学校、「マイファームアカデミー」を2010年に開校した。これによって体験農園の利用者が農家として独立するまでの道筋がついた。

そんな中、2011年3月に東日本大震災が起こり、津波で多くの農地が塩害にさらされる。西辻さんたちは宮城県岩沼市で「復興トマトプロジェクト」を立ち上げた。

塩害の状況を調査し、独自の土壌改良剤を海草や微生物から開発。畑にまいたところ、塩分濃度はわずか1カ月で下がり、夏には大きくて甘いトマトを収穫することができた。塩害の克服には3年かかると言われていたから、マイファームの土壌改良は大きく報じられ、農家からも感謝された。

こうして、体験農園、農業学校、土壌改良がマイファームの事業の3本の柱となった。初年度は副業で稼いだ160万円だけだった年商も、3年後の2010年には1億2000万円で黒字に転じ、11年は1億6000万円と順調に伸び始めた。

社長という肩書きにはこだわらない

その矢先、もうひとつの事件が起きる。被災地を支援しようと西辻さんは活動を東北にシフトさせ、宮城や岩手にたびたび出掛けていた。農家と行政の間で苦労を重ね、闘っている間に、京都の本社では予期しないことが起きていた。社長が東北に入れ込みすぎているとスタッフが不満を募らせ、深い溝ができてしまったのだ。結局、西辻さんは社長を降り、大学時代からのクラスメートである福島雄裕さんにバトンタッチした。

「初期メンバーの多くが会社を離れたのは寂しかったけれど、社長であり続ける必要はなかった。京都の本丸に福島くんがいて、銀行や株主の対応をしてくれる。僕は今まで社長業が忙しくてできなかったことをやろうと思ったのです」

2012年7月から始めたのが地方の農業の再生だ。体験農園、農業学校に続く第3のステージになる。都市部から就農者を増やすだけではなく、地方の耕作放棄地を地元に合った形で利益の出るモデルに変えていく。

「今は福井、滋賀、島根を走り回っています。ひどい耕作放棄地ほどやりがいを感じる。荒れた土地がきれいになって使われている姿をみると、幸せを感じるのです。課題が高ければ高いほど燃えるし、楽しいし、満足感を得られます」

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