耕作放棄地に緑を!農業界の異色経営者 新世代リーダー 西辻一真 マイファーム社長

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その頃に読んだ論文には、今後は地球の人口が増加するのに対して農業人口は減っていくから、生産性の高い作物を作らなければいけない、と書かれていた。ならば農業人口を増やすことも食糧不足の解決策になるのではないか。西辻さんはそう考えた。

「農」と「人」をつなぐためにと始まった、体験農園

「生産性の向上は国も企業も研究していましたが、農業人口を増やすことについては、当時はあまり論じられていませんでした」

農業と人をつなぎ、農業人口を増やすにはどうしたらいいか。4回生のとき思いついたのが、耕作放棄地を整備して体験農園として貸し出すビジネスだった。大学卒業後、IT系マーケティングの会社を経て、2007年に京都でマイファームを設立した。

人目もはばからず号泣した日

ところが、早々に壁が立ちはだかった。協力してくれる農家が見つからないのだ。農家にとっては使っていない耕作放棄地でも先祖伝来の大切な土地。よそ者にそう簡単に使わせてはくれなかった。農家への営業活動が難航する中、スーパーマーケットの野菜の袋詰めのアルバイトや、塾の講師をして生計を立てた。仕事を掛け持ちしているので、睡眠2~3時間の日も珍しくなかった。

地元京都で1件だけ契約がとれた頃、埼玉県の春日部から問い合わせが入った。期待に胸を膨らませ、交通費を捻出して京都から駆け付けた。畑に着くとひとりの女性が待っていた。西辻さんをひと目見ると、「こんな若い人にうちの土地は任せられない」と、くるりと背を向けて帰ってしまった。

それでもあきらめきれず、夜行バスや車も使って毎週のように春日部に通った。8回の交渉の末、出た結論は、やはり協力できないというものだった。西辻さんは春日部駅のベンチで人目もはばからず号泣した。

「おカネのないときに必死で行ったから切なかった。そのとき携帯プレーヤーから流れてきたのがSEAMOのCry Babyです。“夢に向かって僕必死だった うまくいかなくて失敗ばっか”と、まるで自分のことを歌っているようでした。今もSEAMOを聞くと涙がこぼれてくるんです」

それからは若く見られないようにメガネをかけ、スーツを着て、農業や税金についてもっと勉強するなど、挫折をバネに前に進んだ。「つらい」と思ったら最後、崩れてしまいそうだった。何とか頑張れたのは、

「自分の理論を間違いとは言いたくなかったんです。違っていたら軌道修正して続ければいい。難しいことをクリアしていくことに快感を覚えるのです」

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