荒れた庭で立ち尽くす老夫婦が暗闇の中へとだんだんと消えていき、『土佐日記』は静かに幕を下ろす。紀貫之自筆本を忠実に書き写したものが今でも残っている『土佐日記』。作者はもちろんそれを破り捨てることなく、むしろその出来にかなり満足していたと思う。
本作はある旅の記録ではあるが、設定からしてフィクションもちょこちょこ挟まっており、昔の思い出から将来への不安まで事実が書きつづられているだけでなく、人間の内面の世界をも見せてくれる貴重な書物だ。笑いあり、涙あり、ダジャレあり、和歌ありで、紀貫之という偉大な人の人生がぎゅっと詰まっている。
『土佐日記』がなかったら…
『土佐日記』が流布したからこそ、後の時代の女性たちが自由にひらがなを使って自分を語ることができたといえる。それがなければ、『蜻蛉日記』『更級日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『源氏物語』といったすばらしい作品はどれも生まれることなく、日本が誇る平安時代の女流文学が発展することがなかったに違いない。
平安文学の代表的なジャンルとされている日記文学だが、それは戦略結婚を強いられて、自由に外を出歩くことすらできない、垂れ込めて暮らす女たちの不安と不満、男性優位社会での周辺的な役割しか得られなかった女たちの感情が言葉になったもので、不平等な社会に生きることの切なさが訴えられている。
このジャンルを作るきっかけとなったのが、社会の頂点に立って自由もおカネも名誉も手に入れているはずの人だったというのは、偶然ではないような気がする。女性にとって不平等だったその社会は、男にとってもかなり窮屈だったからだ。
そしてふと思う。クスクス笑いながらいろいろなダジャレを連発していた紀貫之おじさんは、きっと金曜日の夜に疲れ切って新幹線に乗っているサラリーマンと同じことを感じていたかもしれない。男はつらいよ、と……。
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