だが、男は漢字を使わなければならないという常識が深く浸透しており、表現の自由など許されるはずもなかった。こうした中、平仮名の達人でもあった紀貫之は、女の仮面をかぶるという抜け穴を見つけ、個人の感情を書きつづる日記文学という新しいジャンルを創造する。
『土佐日記』より30年以上前に書かれた『古今和歌集』の仮名序は、有名な「やまと歌は人の心を種として……」で始まるのだが、そのときからユキコ婦人は和文による表現の可能性の広さと深さに気づいており、『土佐日記』を書き上げるまで漢文仲間に黙って、いろいろ試行錯誤をし続けていたに違いない。そう考えると、ただの地方官僚の天下りおじさんだと思っていた紀貫之がなんだかカッコよく見えてきた。
こうして、業務メモや政治事しか書けないつまらない公式文書から解放されたユキコ婦人は思いっきり羽を伸ばし、ひらがなを自由自在に操り、57首の和歌と歌謡を含んだ日記を書き上げる。従来の公式な日記の形態を借りて、1日1記事、55日間1日も欠かさず書いているわけだが、和歌の数を見ると、1記事1首ぐらいという勘定になる。どれだけ和歌が好きだったんだユキコ婦人!!と、その根性と愛情深さ、歌人としてのプロ意識に驚きを隠せない。
「おじさん色」を隠せないダジャレを連発
でもまぁ画期的なことを試みたカッコイイおじさんでも、中身は紛れもなくおじさんだ。そして、おじさんらしくダジャレが大好き……。たとえば、この記事。
「馬のはなむけ」というのは古い習慣だったようで、旅人の無事を祈るため、旅先の方向に馬の鼻を向けていたようだ。しかし、ユキコ婦人が生きた時代では言葉としてその名残はあったものの、餞別の品を送るという意味で用いられていた。「(馬に乗らない)船旅なのに、はなむけ!」というダジャレは、例えるなら「アルマーニじゃあるまいに」と言っているようなもの(失笑)。
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