「女装おじさん」の旅日記に秘められた思い 紀貫之は何を思って「土佐日記」を書いたのか

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そして、こんな短いテキストにもかかわらず、ダジャレが続く。「あざる」という単語には「肉や魚が腐る」という意味と、「ふざける」という意味合いがあったようだ。つまり、塩分の濃い海だから「あざる(=腐る)」はずがないのに、酔っぱらった人たちが「あざれ(ふざけ)」あっている。こちらも「トイレにいっといれ」といったようなところだろうか……。

24日の記事もまた同じ調子だ。

二十四日、講師、馬のはなむけしに出でませり。ありとある上下、童まで酔ひしれて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
【イザ流圧倒的意訳】
国分寺の住職が、わざわざあいさつにきてくださったわ。その場にいた人たちは、身分は上でも下でも、子どもまで含めてめちゃくちゃ酔っ払い、普段一の字でも書けないような人たちなのに、千鳥足で十の字を踏んでいるかのように楽しんでいる。

長旅から帰京後、われに返る瞬間

こちらの文章には、足のクロスから連想される「十の字」を使った言葉遊びが用いられている。

本当のレディだったら、もう少しお上品な話をするかもしれないが、ひらがなを使うことによって、日常の何もかもを話せる自由を手にしたユキコ婦人が、なんだかとても楽しそう。当時の船旅はかなり窮屈な集団生活を強いられるもので、海賊だの、嵐だの、さまざまな危険も伴った。それでもやはり、景色を楽しんだり歌合(うたあわせ)をしたり、時に亡き娘(紀貫之は赴任先で娘を亡くしている)のことを思い出して悲しんだりしながら、ユキコ婦人はその特別な空間を鋭い目で観察し、いきいきと表現した。

港から出られない日も多く、大津、浦戸、室津、大湊、宇多の松原など、ちょっとずつゆらゆらと旅が続く。そして、55日間の長旅を終えて、やっと帰京。しかし、ホッとする時間はない。留守中に間に預けていた家が思ったより荒れた状態になっている。

ここで筆者はようやく女の仮面を脱ぎ捨てて、自分の思いをそのままつづっている。とても長かった船旅、そして5年の田舎暮らしから久しぶりに帰ってきたわが家は雑草だらけになっている。妻だと思われる人と一緒に荒れた庭を見て、留守の間に新しく小松が生えてきたことに気づく。亡くした娘の悲しみと旅の疲れ、これからの生活の不安――老夫婦の心の中にさまざまな感情が湧き上がってくる。

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