冒頭を読み進めると次のような記述がある。
高知での業務を終えた「ある人」(つまり紀貫之本人)に仕えるレディのひとりになりすまし、ユキコ婦人も旅の支度をする。しかし、女が知るはずもない業務手続きや令状などの話が出ていることから、当時の読者はこの「女」は本当の女ではないことを見破るはず。
な~んだ、ユキコ婦人こと紀貫之ったら、もう少しスマートにカムフラージュできなったのかと一瞬落胆するが、言葉のマスターだった作者が、素人でもすぐわかるようなことに気づかないわけがない。
「女装」してまで欲しかったもの
ハイヒールや派手なメークをたしなむ女装家が、みんな女になりたいわけではないのと同じように、ユキコ婦人も本当に女になりたかったわけではない。ただ、当時、女性だけが使うことを許されていたあるアイテムが好きで好きでたまらなかったのではないかと思う。それは、牛車からチラっと見える色鮮やかな着物でも、暗闇の中で男性の心をドキッとさせる完璧なメークでもない。ユキコ婦人が欲しかったのは、「女手(おんなで)」と呼ばれていたもの、つまり「ひらがな」だった。
平安時代では男性が漢字を、女性はひらがなを使っていたというのは知ってのとおりだ。それによってそれぞれの社会的役割が明確になっており、誰がどの情報にアクセスできるか、誰とコミュニケーションできるかということが決まっていた。
しかし、ユキコ婦人は歌人であった。しかも、とびっきりうまい歌人。枕詞や掛詞なんぞお手のもの、TPOをわきまえた季語のチョイスもばっちり、奇想天外な縁語だって朝飯前――。それだけの技術があれば、それを存分に生かしたい、そして多くの人に作品を読んでもらいたいと思うのが当然だ。
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