なぜ「グローバル人材」になりたいのか
そもそもあなたはなぜ「グローバル人材」になりたいのか。
僕は「グローバル人材になりたい」という風に考えたことは一度もなかった。親にも先生にも「グローバル人材になれ」と言われたことなどなく、ましてや「MITを目指せ」などと言われたことなど、あるはずがなかった。僕がアメリカに来たのは、ここで宇宙開発の仕事をしたかったからだ。 僕にとって、アメリカに住むことや、「グローバル人材」になることは、目標達成のための手段でしかなかった。
僕がどうも最近の「グローバル人材」ブームに対して肯定的になれないのは、「グローバル人材になること」が自己目的化されてしてしまっているように思えるからだ。イチローは大リーグで活躍するためにアメリカに渡ったのであって、アメリカに渡るために大リーグに移籍したわけではあるまい。日本で働くかアメリカで働くかというのは、東京で働くか大阪で働くかということと、本質的には何の違いもない。
もちろん、若者が世界を目標として頑張ることはすばらしいことだ。だが今一度、あなたは何のために「グローバル人材」になりたいのか、と問いてみてほしい。
まさか、就職活動に有利になるために「グローバル人材」になろうなどという、つまらない考えを持っていないだろうか。さすがにそんなことはなかろう。だが、もしそうならば、ドラッカーのこの言葉を思い出してほしい。
「あなたは何によって記憶されたいか。今、答えられなくてもいい。でも、50歳になっても答えられなければ、あなたは人生を無駄にしたことになる」
僕やあなたが「グローバル人材」であったことによって後世の人に記憶されることは決してない。もし僕が記憶されるならば(そうなる予定であるが)、それは宇宙工学の分野に残した業績によってだろう。もしあなたが記憶されるならば、それはあなたが発見した何か、あなたが発明した何か、あなたが創造した何か、あなたが達成した何かによってだろう。
もちろん、今も昔も若者は理由もなく外の世界への冒険にあこがれるもので、それはとても健全な精神だと思う。白状すれば、僕もMITに留学したのは、アメリカで宇宙工学を究めたいというだけではなく、単に親元を離れて広い世界を見てみたい、という気持ちもあった。
だから、明確な目標がなければ海外経験は無意味だ、と言いたいわけではない。楽しそうだからという理由だけで、勢いに任せて飛び出してみて、いろいろと苦労し、悩み、経験するうちに、自分の道が定まるというので何も悪くはない。実際、ほとんどの人にとって、多かれ少なかれ人生とはそのように偶発的なものだろう。あなたが「グローバル人材」を目指しているならば、それはすばらしいことで、ぜひそのまま頑張ってほしいと思う。
だが、決してそれを自己目的化させてはならない。たとえ今すぐ答えを見つけられなくても、つねにこう自分に問い続けなくてはならない。自分はこの一生で何を成し遂げたいのか。この人生は何のためにあるのか。 そして、自分の夢は何なのか 、と。
もしあなたの夢が日本国内にあるならば、「グローバル人材」ブームなんていっさい気にせず、胸を張って日本で活躍すればいい。「グローバル人材」が、そうでない人よりも偉いなどという法はどこにもない。
そして、もしあなたの夢が日本に収まりきらないならば、迷わずにこの島国を飛び出せばいいのだ。僕は宇宙を目指して海を渡った。あなたは何を目指して海を渡るのだろうか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら