日本の学生の中には、外資系企業の日本支社に就職することが、すなわち「グローバル」だと勘違いしている輩までいる。決して外資系企業を志望することに異を唱えるわけではない。ただ、どの会社に入ろうとも、入ったあとで何をするかが肝心なのだと言いたいのだ。
これらは至極、当たり前のことばかりだ。だが、あまりにも「グローバル」という表面的な言葉がはやるあまり、当たり前のことが軽んじられていないかと危惧する。
学生が「グローバル人材」になることを目指して、国際交流系のサークル活動に精を出したり、語学留学や交換留学に行ってみたりすることはもちろん応援する。しかし、世界と戦うために必要となる知識や能力を身に付ける最良の方法は、大学での勉強を頑張り、研究室での研究で結果を出すことであることを忘れてはならない。「グローバル人材」志望の学生には説教くさく聞こえるだろうか。だが、あなたの将来の競争相手であろうアメリカの大学生にとっては、これが当然の価値観なのだと言えば、少しは耳を傾けてくれるだろうか。
日本企業も、新卒採用の際に、「グローバル人材」の獲得にいそしむあまり、本当に世界でモノをいう知識や能力への評価、すなわち大学での成績や研究室での研究成果への評価を軽んじてはいないだろうか。日本企業の人事の方には、そんなものは実務の役に立たないとお考えの人もいるかもしれない。だが、そういう短視眼的な考えこそが、貴社の世界における競争力を奪う原因の根底にあるのではなかろうか。貴社の競争相手となるだろうアメリカの企業にとっては、これが当然の採用基準 なのだと言えば、少しは信じてもらえるだろうか。
かくいう僕も、まだ何か大きな業績を残したわけでもないのに、東洋経済オンラインに連載を持つという光栄にあずかることができたのは、MITを卒業しJPLで働いているという「グローバルな経験」があるからだろう。その意味で僕自身も昨今の「グローバル」ブームをちゃっかりと利用させてもらっているのだ。これでいい気になるなよ、と僕はこの連載を書きながら自分に言い聞かせてきた。小野雅裕という人間の価値が、彼の死後にどのように評価されるかは、MITを卒業したことでもなく、東洋経済オンラインに記事を何回か書いたということでもなく、ましてや「グローバル人材」だと日本国内でちやほやされたことでもなく、ただひとえに僕が宇宙工学という分野でどういう業績を残すかに懸かっているのだ。そしてそれは「グローバル人材」を志向するあなたにとっても同じである。
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