「小賢しい患者はキライ」な医者との闘い方 ときには医者を「教育」する勇気も必要だ

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いい医療を受けるためには、まずはいい医者を見極めて受診することが大切です。そして、その医師で不都合が生じた場合は、山口さんのように、医師を変えようと試みる患者もいます。さらに、医師を変えようとして変えられなければ、医師を代えるという選択肢もあるのです。

手術の腕の良い外科医だからといって、必ずしもその後の外来での化学療法やコミュニケーションの腕がいいわけではありません。過去のある時点で自分にとっていい医師であっても、現在の今の自分の状況において適切といえないのなら、医師を代えなくてはならないという場合もあるのです。

『大学教授ががんになってわかったこと』の中で描かれている山口さんと医療者のやりとりを見て、多くの方はびっくりされるかもしれません。また、自分に山口さんのようなことはとてもできないと感じる人も多いはずです。山口さんの場合は、学者として、教育者として生き抜いてこられた方だから、情報の収集法や人を変えることに精通しているといえるのは確かです。

ただ、山口さんと同じようなスキルを身に着けている方は、数多くいるはずです。例えば、社会人として企業などで指導する立場にいる人であれば、ネット上での情報収集力やコーチング力を身につけているはずです。その力を、患者としての立場で発揮していけばいいのです。

執刀医と外来担当医を分けるのも「手」

コウベエ先生のような医師を変えられるとしたら、山口さんのような患者がコウベエ先生の外来に次々に出現して初めて可能になります。また、彼の手術が上手いなら、それだけを担当し、その後の外来は外来診療に向いた医師が行う、というチーム体制を作るのも1つの手です。そして、病院の中にそのようなチームが必要だと意識させるのも、山口さんのような患者の存在があってこそなのです。

患者が中心となる医療は、患者と医療者が対等な立場で発言をできる対話が成立してこそ実現します。このような医療を実現するために必要とされる、自律する患者が、日々次々と現れてきていることを感じます。それは社会全体の大きな変化に基づくものです。

そして、医療者の側も、自律する患者を支える方向に向かおうとしていることは間違いありません。もうすでに、その様な変化を若い医師から感じている患者さんも多いのではないでしょうか。

自律する患者の増加により、しばらくは、医療の現場での混乱もあるでしょう。しかし、そのような混乱を通過して、ようやく自律する患者のための患者を中心とする医療が実現するのだと信じています。そしておそらく、10年後には医療者側の意識も大きく変わっているでしょう。そして、そのような混乱を是認しつつも最小限にとどめ、新しい医療に移行したいと考えるのが、私の考える「市民のための患者学」なのです。

加藤 眞三 慶應義塾大学看護医療学部教授

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かとう しんぞう / Shinzo Kato

1956年生まれ。1980年に慶應義塾大学医学部卒業。1985年に同大学大学院医学研究科博士課程単位取得退学(医学博士)。米国マウントサイナイ医学部研究員、 東京都立広尾病院の内科医長、内視鏡科科長、慶應義塾大学医学部・内科学専任講師(消化器内科)などを経て、 2005年より現職。著書に『患者の生き方』『患者の力』(ともに春秋社)などがある。毎月、公開講座「患者学」を開催している。
 

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