未知のデザインに挑む、ジョブズの右腕 アップルをアップルたらしめる、デザイン哲学

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アイブの視線が、どれほどアップルの企業としてのあり方に影響を与えたか。それは、生前、スティーブ・ジョブズが語ったこんな言葉に表れている。

「もしアップル社内に僕が精神的なつながりを感じる人物がいるとすれば、それはジョナサンだ」

ジョブズが頻繁にアイブのいるデザイン部門に足を運んで、長く話し込んでいたというのは有名な事実だ。気まぐれなトップで、ほかの社員に対しては暴言を吐いたりいじめたりもしたが、アイブの言うことには静かに耳を傾け、2人で深く語り合った。デザインに少なからず関心を持っていたジョブズは、アイブのアイデアを咀嚼してアップル製品の存在意義を洗練させていったのだ。

ジョブズとの出会い

そのジョナサン・アイブは、ジョブズ自身に雇われた人間ではなかった。アイブは、1967年にイギリスで生まれた。父親は銀細工師で、アイブのディテールへの関心は、父親の仕事ぶりをいつも目にしていたからだと言われる。工業デザインを学んだ後、タンジェリンという名前のデザイン会社を共同設立する。タンジェリンはそのユニークなデザインで、イギリスばかりでなく、すぐさま世界でも知られる会社となった。

当時のアップルのデザイン部門も注目し、アイブは最初、外部コンサルタントとして同社にかかわり始め、その後1992年にはフルタイムの社員としてアップルに加わった。

当時、アップルはジョブズ不在の会社だった。創業者でありながらアップルを追放されたジョブズが再び同社に戻ってきたのは、1996年。ジョブズはすぐさま製品ラインを整理し、カラフルなiMacやiPodなど、人々がびっくりするような製品を次々と打ち出していく。その背後にいたのが、すでにデザイン部門のトップになっていたアイブである。

アイブの父は銀細工のクラフトマンだったが、ジョブズの継父も機械整備士でモノ作りをする人間だった。ジョブズの父親は、どんな製品も表と同じく裏側が美しくなければならないと、ジョブズに言って聞かせていた。そして、アイブも同じ哲学を持っていた。そしてそれが、アップルを再生しようと超スピードで製品を練り直していたジョブズを支えたのだ。

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