結婚
話が前後するが、MITを卒業する1年ほど前、僕は結婚をした。
「東洋経済オンライン」でノロケ話とはいかがなものかと思われるかもしれない。「新世代リーダー」のためになる話でもない。だが、この連載では11回にわたってさんざんまじめで堅っ苦しいことばかり書いてきたのだから、今回くらいは肩の力を抜いたことを書いても罪はなかろう。佐々木編集長の寛大な取り計らいに感謝するのみである。
留学中、僕は太平洋をまたいだ遠距離恋愛を3度し、3度とも続かなかった。そしてその後にMITに留学してきたすてきな日本人の女性と出会い、恋をし、付き合った。
半年後、僕はグリーンカード(アメリカ永住権)の申請をした。夢だったNASA JPLで働くには、それが必要だったからだ。だが、このときに気掛かりだったのは、当時の彼女、現在の妻のことだった。
まだ付き合って半年だったから、結婚について話すことはなかったが、この人といずれは、という気持ちもあった。しかし、彼女と一緒に彼女がアメリカに住むには、彼女にもグリーンカードがいる。そして、配偶者に対するグリーンカードの交付について、ややこしいルールがあった。
もし僕のグリーンカードの申請が認められた場合、その日より1日でも前に結婚した配偶者がいたら、彼女に対してもすぐに(といっても最大1年かかるが)グリーンカードが与えられる。しかし、もし結婚の日がグリーンカード取得の日よりも1日でも遅ければ、配偶者に対して与えられるグリーンカードの数に制限があるため、約5年も待たなくてはいけないということだった(現在、アメリカ議会で移民法改正について議論がされており、この制限が緩和される可能性がある)。
そして、僕はもう賽を投げてしまっていた。つまり、申請書は提出してしまった。いつ申請が認められるかは気まぐれだ。弁護士によると、9カ月かかった人もいたし、3週間で来た人もいたということだった。
5年間も遠距離の関係が続くか怪しい。もし、今、結婚しなければ永遠にチャンスを逃すかもしれない。さて、どうする小野雅裕、と僕は考えた。
僕なりに深く考えた。彼女と腹を割って話をした。親にも相談した。だが、たぶん結論は脳が下す前に腹の底に元からあった。留学にしても転職にしても、僕の決断は多分に直感的だ。このときもそうだった。
グリーンカードを申請してから数週間後に、彼女の誕生日があった。そこで友人たちを僕の部屋にひそかに招いてサプライズのバースデー・パーティをした。
そして、僕はその場でもうひとつのサプライズをした。彼女は泣きながら首を縦に振った。
そうと決まったならば、もたもたする理由はない。僕らはその10日後に結婚した。
日本では式を挙げなくても書類にハンコを押せば法的な結婚になるが、アメリカではどんなに簡素でも式を挙げ、宣誓をしなくては、法的な結婚にならない。宗教を持つ人ならば神父や僧侶の前で宣誓をする。無宗教の人は、婚姻を取り仕切る資格を州から与えられた人(Justice of Peace)の前で宣誓を行う。
僕らの結婚式の会場は、MITのキャンパスの中にある、僕が住んでいたアパートのコモンルームだった。ドレスとブーケの手配、Justice of Peaceとのアポ取り、市役所への届出など、段取りのすべてを自分たちでやった。真冬のボストンの街を、耳を真っ赤にしながら彼女と自転車で駆け回った。
案内を友人たちにメーリングリストで送ったのは式の3日前だったのに、多くの人が駆け付けてくれた。僕の指導教官も来てくれた。さすがに両家両親は日本から来ることができなかったので、インターネットで中継をした。花嫁のエスコートは、父親の代わりに、彼女の親友が務めてくれた。
僕らは宣誓し、拍手喝采を受け、夫婦になった。
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