NASA JPLへの就職活動と、失敗
「就職活動で最も大事なものはコネクションだ」
MITの研究室の先輩で、当時JPLで働いていたイギリス人にアドバイスを求めたとき、彼はそう言い切った。事実、アメリカでは仕事の半分はジョブマーケットに出る前に決まるという。平たく言えばコネ、ということだ。もちろん縁故という意味ではない。自分の能力を認めてくれているしかるべき人、という意味だ。
考えてみれば当たり前だろう。履歴書とたった30分の面接で得られる情報なんてたかが知れている。それだけの情報で高い給料を払うことをコミットするなど、会社にとってリスクが大きすぎる。それよりも、過去に一緒に共同研究をしたり、一緒のプロジェクトで働いたり、インターンとして雇ったことがあって、能力を直接見て知っている人を雇うほうが、よほどリスクが小さい。
また、直接的には知らない候補者でも、信頼できる人物が推薦している候補者ならばリスクは小さい。実際、アメリカでの就職活動では、数人のreference(推薦人)の名前と連絡先を聞かれることが多い。たいていは自分の指導教官や昔の上司をreferenceにする。採用する側はreferenceとして指定された人に電話などで連絡し、本人の学習態度や働きぶりを聞くのだ。
僕のケースに話を戻そう。僕にとってのJPLとのコネクションの第1は、そのイギリス人の先輩だった。もともと僕の博士研究は彼からの引き継ぎだったので、彼がJPLに行った後も数年にわたって共同研究を行い、何本か論文を共著していた。そのかいあって彼は僕を非常に高く買ってくれていた。就職活動を始める前に、彼は僕がJPLを訪問する機会を作ってくれ、上司や周囲の研究者とのミーティングもセットアップしてくれた。
いよいよ出願するとなった際も、彼が強力に僕を推薦してくれたおかげで、書類審査は難なく通過し、面接に呼んでもらえることになった。2011年1月のことだった。
極寒のボストンを出てロサンゼルスに着いたとき、あまりの空の青さに僕は面食らった。いよいよだな、と思った。JPLがあるパサデナまでは空港から車で1時間ほどの距離だ。航空券とホテルだけではなく、レンタカーも向こう持ちで手配してくれるから、至れり尽くせりである。冷房のよく効いたホテルに入り、僕は夜までずっとプレゼンテーションの練習をした。
面接当日も抜けるような青空だった。先に述べたとおり、面接はポテンシャルではなくスキルを評価するものなので、面接するのはすべて応募先の部署の研究者やエンジニアで、人事との面接は一切ない。1日で約10人弱から休む暇なく面接をされた。それに加えて、自分の研究についての1時間のプレゼンテーションを行った。僕は心底疲れ切って1日を終え、翌々日にボストンに戻った。
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