不安な気持ちで結果を待ったが、待てども暮らせども連絡が来なかった。たまりかねてこちらから連絡をすると、
「君を非常に気に入っているが、今は君を雇う予算がない。もう少し待ってくれ」という、肩透かしを食らったような答えが返ってきた。最初のうちはこれを楽観的にとらえていた。だが、その後何カ月経っても、何度聞いても、同じ返事だった。6月に永住権が取れたので状況が変わるかと思ったが、だめだった。
確かに、当時のJPLの予算の状況が悪かったのは事実のようで、この時期に解雇された人も多かったようだ。だが、後になって考えてみると、状況が厳しいとはいえ研究費を取る方法はさまざまにあるのだから、もし先方が本当に僕を採りたいと思っていたならば、無理をしてでもすぐに採ったと思う。そうでなければ時間とおカネを使ってわざわざ面接に呼ぶ意味がない。結局、僕は無理をして今雇うほどの人材ではないと判断されたのだ。Noとは言われなかったとはいえ、実質的には落とされたようなものだった。
慶應大学への就職活動
JPLからの返事を何カ月も待っているうちに、慶應大学が僕の分野の教員を募集していることを知った。もともと僕は大学での研究職にも興味があった。一足先に日本に帰った妻の職場が東京だったこともあり、応募することにした。
いかなる職種でも就職活動には実力だけではなく運の要素があるものだが、大学のポジションとなると、とりわけ運の要素が強い。学問分野が細分化されているので、たとえどんなに優秀な人でも、自分の専門分野と合致する公募が、望む場所で、望む時期に出る確率は高くはないからだ。だから僕のように、ポスドクを経験せずによい公募に巡り会えたことは、幸運以外の何物でもなかった。
当然、いざ出願した後は実力の勝負になる。だが、やはりここでも「就職活動で最も大事なものはコネクションだ」という先輩の言葉はそのまま当てはまる。よいコネクションを作る能力も、実力のうちなのだ。
後になってわかったことだが、過去の研究でお世話になった先生、僕が代表を務めている留学支援団体・米国大学院学生会の活動で縁があった先生、帰省の際にプレゼンテーションをさせてもらった研究室の先生など、さまざまな方が僕を推してくれていたそうだ。アカデミアは非常に狭い世界だから、なおさらこうした個人的な評価が重要となるのだ。
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