ミセス・パンプキンの感想:私は胎教に失敗
私の子育ては、後悔先に立たずの連続でした。
「和室のせんべい布団」とは失礼な!知らない人が聞けば、どんな家かと誤解されかねません。本当は、「夏用に涼しく仕立てた薄めの上等な絹布団」だったのですからね!
40年ほど前は、まだ「胎教」と言う言葉が、新聞にも母子手帳にも出現していない時代でした。ただ美しい音楽を聴いたり、トイレをきれいにしたりすると、優しい子が産まれる、という程度でした。
胎教の効果がいろんな方面から聞かれるようになったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、胎教で高校数学や科学、生物の教科書を読めばよかったということでした。
私が読んでいたのは盛者必衰を物語る「平家物語」や「サルトルとボーボワール」などの伝記、闘病記……。この子が自主的に勉強しなかったのはDNAと胎教が重なったためと悔やまれてなりませんが、賢明な親に生まれたお子さんたちとは違い、産まれたときからハンディを背負わせたと、今更ながら思い知らされた次第です。
トンビが鷹を産むこともある
ここだけの話ですが、私には希望がありました。たとえば優秀な学者のご子息が、必ずしも優秀だとは限らないことです。ならばその逆もありえます。私のように優秀でない母の子でも、教育いかんによっては持てる能力を伸ばし、その意味での成功例も事欠かなかったことです。
子供たちの今は亡き父親は、子供に対する期待の大きい人でしたので、そのことを常々子供に言い聞かせていました。ただ、父親の期待は大きすぎて、実現しそうなものではありませんでした。
そのため私は、期待が実現しなかった場合の親子の軋轢やプレッシャーによって、伸びる子も伸びなくなることばかりが案じられ、「鷹までいかなくともトンビ以上なら御の字だ」と夫に反論していたのですが、いつも「夢が小さい、コンドルくらい目指させろ! 何のために子供を育てているのだ?」 と決まって爆弾を落とされていました。
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