新生ヤフーが命運託す、生粋"モバイル野郎" ソフトバンク孫社長も待望した男の素顔

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普段は社内で目立たない地味な人も、「ハックデー」になると別人のように燃えたりするという。「アイフォーンを、脳波で浮かせようとする社員がいたり。自分にもわからない世界が見られる」と村上は笑う。

怒涛のモバイル人生

村上は根っからのモバイル野郎だ。秋葉原、アマチュア無線にハマった幼少期を経て、高校3年時には秋葉原の有名パソコン(PC)店でのアルバイトに没頭。青山学院大学在学中は授業にはほとんど出ず、コンピュータールームに入り浸る。学内のファイアウォールを破って使うなど、すでにハッカー級の力をつけていた。

その頃出会ったのが、現ヤフー副社長の川邊健太郎(38歳)。当時、電脳隊というベンチャー企業を設立、ホームページの受託開発をしようとしていた川邊らは、技術者を探していた。そこで友人を介して打診を受けたのが、村上だった。

「当時は家庭の事情で学費以外の仕送りがなく、秋葉原のPC店と電脳隊、個人受託のプログラマーの仕事で生活していましたね。住まいは、電脳隊の事務所でした(笑)」

転機は1997年。「受託のビジネスで終わりたくない」と思い始めた頃に、衝撃の出来事に遭遇する。都内のあるイベントで、マイクロソフトが45メガの専用線を日米でつないで、一瞬で動画をストリーミングで流しているのを見たのだ。

「自分たちは細々とダイヤルアップしていたので、衝撃を受けましたね」

「いつまでもホームページの受託開発ではいられない」――。イベントでの光景は村上の脳裏から離れず、その夏、電脳隊一行は、知人のつてを頼って、シリコンバレーの視察に出掛けた。ネットスケープ、オラクル……。最先端IT企業のオフィスを見学、現地のトップマネジメントとも会い、資金調達のテクニックなども学んだ。

村上の人生に影響を与えた、電脳隊メンバーでのシリコンバレー視察(写真前列左が村上)

帰国後、電脳隊の仕事への姿勢は大きく変わった。いち早く最先端の通信規格WAP(wireless Application Protocol)に対応したモバイルコンテンツの開発を開始。日本移動通信と第二電電(KDDIの前身)向けに配信を始め、会社は急成長を遂げる。

その抜きん出たモバイル技術は、ヤフーの目に留まる。「あのヤフーとなら、もっと大きいことができるかもしれない」。こうして、電脳隊と合併していたピー・アイ・エムがヤフーと合併することに伴い、村上はヤフーに入社する。

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