菅山氏は28年に企業側が工業学校長に宛てた書簡から、「実務は学校の延長である」、つまり学校で体験した教室的な秩序が就職後も生涯にわたって続くのだとの心構えを、卒業生にも持たせるべきだとする通念を読み解いている。
さらに、同時代の少年職業斡旋に関する答申では、転職を通じてキャリアアップを重ねるのではなく、最初から「永続的職業」へと誘導することが称揚されていたという。ここから「新卒採用・終身雇用」の日本的経営までは、あと一歩であろう。
学校化社会は努力家の理想か、新たな身分制か
学校で頑張れば先生が認めてくれたように、職場でも一生懸命働けばきっと報われるはずだ。だから、君たちの勉強は無駄ではない――そんな風に私たち教員が卒業生を送り出すとき、前提にしているのはまさにこの、「教室と同じような空間が企業に入っても定年まで続く」社会だ。
確かに、人生の上ですきまなく「自分の居場所」が与えられ、達成するべき目標もその場所ごとに明確(学校なら成績、企業なら業績)な世界は、チュートリアルが充実したゲームのようなもので、多くの日本人には生きやすかったのだと思う。
しかし、「人間が常に何らかの組織に所属せねばならず、定められたミッションの遂行が一生涯求められ続ける」というのは、見方を変えれば江戸時代のような、身分制社会の特徴でもある。
実際に野村正實『日本的雇用慣行 全体像構築の試み』が紹介する、1903年の三井銀行の内部資料では、あるべき会社と従業員の関係を「主従の関係五分、雇者被雇者の関係五分」と記している。半分は主従関係でよいというのだ。
この資料は三井の幹部クラスに年功賃金を導入し、終身雇用的に全生涯にわたって面倒をみることを唱えたもので、会社と「主従関係」を結べることは、当時はエリート社員のみの特権だった。
やがて昭和以降、新卒採用とともに終身雇用も、徐々に多くの労働者に適用されるようになってゆく。職業安定所が地方の中学校と都市部の求人とをマッチングし、大企業がかような雇用形態を保障したことが、高度成長期のような激変の時代にも、日本人に安定した人生設計を可能にしてきた。
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