アメリカのリベラルアーツカレッジで、現在でも重要だと考えられているのは、ローマ時代の末期に成立したという「セブンリベラルアーツ」(自由7科)だ。なぜ、「自由7科」なのかというと、この7科が、奴隷でない自由人として生きていくために必要な素養とされたからだという。
「自由7科」は、「3学」 (トリウィウム) と「4科」 (クワードリウィウム) の2つから成っている。「3学」は、主に言語にかかわる3科目のことで、「文法」(Grammar)、「修辞学」(Rhetoric)、「弁証法(論理学)」(Logic)。「4科」は数学にかかわる4科目で、「算術」(Arithmetic)、「幾何」(Geometry)、「天文」(Astronomy)、「音楽」 (Music)である。
ローマ時代には、この「自由7科」の上に「哲学」(Philosophy)があり、さらにその上に「神学」(Theology)があるという学問体系になっていたという。その後、中世のヨーロッパで大学が誕生した際、この「自由7科」は、学問の科目として公式に定められ、その伝統を今もアメリカのリベラルアーツカレッジは守っているというわけだ。
しかし、時代は猛スピードで進んでいる。そのため、学問・学術の領域も今では限りなく広がっている。となると、このような古臭い学科ばかりでは、現代の状況に対応できないうえ、学生たちも不満を持つ。そこで、たとえばコンピュータ・サイエンス系の科目を増やす、音楽では一科目としてヒップホップやラップを教えるなど、新しい科目を積極的に加えるようになった。
「フェイスブックの創始者ザッカ―バーグのような生徒が、途中でやめないようにしなければならい」というわけだ。
日本の学生の不幸
日本でリベラルアーツカレッジというと、一般教養科目ばかり4年間かけて学ぶと思っている人が多い。しかし、実際には、2年生(ソフォモア)終了後に専攻(メジャー)を決めることになっている。そして、3年生(ジュニア)、4年生(シニア)では、その科目を中心に学ぶ。
日本では、大学入学以前に、文学部なら文学部、工学部なら工学部と、あらかじめ専攻を決めなければ受験できないシステムになっている。そうして入学した後、学士課程の前半で教養教育を受ける。そして3年生からは、学部ごとの専攻科目に入る。
これは、一見するとアメリカのリベラルアーツ教育のプロセスと同じだが、大学入学以前に専攻が決められている点で、大きく異なる。これは、学生にとって不幸なことではないだろうか?
日本の場合、先に専攻ありきだから、教養課程は高校時代の勉強の延長にすぎなくなる。しかも、そこでの成績は成績にほとんど影響しない。これでは、一般教養は形骸化してしまう。
本来なら、アメリカのようにまずリベラルアーツ(学問の入り口)教育を受け、その中で自分の専攻を決めるほうが自然だろう。
ところで、前記した「自由7科」には、それぞれ守り神が存在する。ギリシア・ローマ文明の伝統から、学問には守り神いて、学ぶ者を見守ってくれることになっている。この守り神はすべて女神で、アメリカ東部のリベラルアーツカレッジの講堂に行くと、7体の女神像(goddess)が置かれている場合が多い。
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