私は両側の人を何組も見てきましたが、1つ断言できることは、後者の妻も最初は、この世も終わりかと思うほどの苦悩の日々を過ごしていたということです。
糟糠の妻の手料理が忘れられず、その味を愛人に覚えさせるといっては時々惣菜を取りに帰ってきた厚顔無恥な夫がいます。
自分(本妻)のそばで植物人間のようになる夫を見ていられず、望まれるままにしょっちゅう、愛人宅に夫を送り届けた妻もいます。それぞれその葛藤は想像がつきます。
時間と距離で、冷却期間を
いずれも、“もしほかの女性がこのようなことをしていたらバカにしか見えず、自分には絶対それはできないと考えただろうが、いざ自分の番になると、切っても切れないのが夫婦の縁”などと、それが苦悩の選択であったことを吐露しています。
また彼女たちは、親子の縁が切れないのと同じレベルで夫婦の縁も考えており、夫が離縁を言ってきても取り合わず、ずっと別居が続いても離婚はありえないと、ドンと構えていたことで共通しています。
夫婦のことを、他人があれこれ想像してもわかることではありませんが、夫の背信を麻疹熱のような、または一時の迷いととらえるほどの、ある意味で妻としての自信を、私はそこに見ました。
はな子様より彼女は20歳も若く、一線でバリバリ仕事をし、独身ですからあなたのように、ある意味生活疲労感もなく、夫君にしてみれば教育費もローンも忘れさせてくれる打ち上げ花火のような華やかなだけの存在です。しかし彼は花火をみたあとは必ず、旧いほど味わいがあるとされる畳やワインのように、糟糠の妻のかけがえのなさに気付きます。
その花火は打ち上がってまだ1年足らずで、美しい盛りです。しばらくは彼は定期的にその花火を見たがるでしょう。しかしいちばん美しい花火の時期でもあなたが命と舞い戻るくらいですから、その儚さから完全に目覚めるか見飽きるのも時間の問題かもしれません。花火のほうから遠ざかる可能性も大です。
しかし今のままだと彼の気づきは遅れる一方で、あなたのプライドも限界です。しばらく日本に帰ってこられてご兄弟の世話になりながら働き、それでも切れない夫婦の縁か見定めましょう。それとも今の迷いが魔法で、それが解けてあっさり離婚の決心がつくか、時間と距離で、冷却期間を作ることをお勧めします。
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