カープがこれからも勝ち続ける「7つの理由」 ぐっちーさんが広島の強さを数字と心で検証

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思えば球団創設の1949(昭和24)年と言えば、広島は原爆によって焼野原になってからわずか4年なのです。その時に地元のプロ野球チームをつくろうと立ち上がった広島の皆様の反骨心、というか根性、心意気は如何ばかりなものか、と驚かざるを得ません。

最初から貧乏球団で、大阪への遠征費にさえ事欠いて、結局あの有名な「たる募金」が始まる訳です。冗談ではなく、たる募金で集まった現金で切符を買ってそのまま大阪に遠征したという話があるくらいで、大変な苦労をしてきました。しかし、まさにそのたる募金によって多くの市民が支えてきた訳で、その結果ほぼ40年間黒字を続ける、という超優良会社に生まれ変わった訳です。

テーマは全力プレーと選手発掘、そして育成。

札びらで顔をはたくような真似は決してせず、常に自前の選手を育て続けるのがカープの伝統なのです。

放映権料はわずか10億円に過ぎない

少し経済エコノミストらしい話をすると、カープの野球球団としての経営には多くの特徴があるのですが、昨年の145億円の売り上げのうち、各球団では半分くらいを占めている放映料はわずかに10億円に過ぎません。その分グッズの売り上げが30億円、入場料収入が60億円と、要するにファンから取れる金額が半端ではないのです。

これは早くから放映権料が下がっていくことを見越した松田オーナーの経営における方針が明確であったので、ネットを含めたグッズ販売に経営資源の多くを振り向けたことに成功の秘訣があったのです。親会社の広告宣伝量で穴埋めをすればいい、という発想ではこうはならないでしょう。

組織論的にみてもこのチームは極めて良くできています。

監督の緒方さんが1968年生まれで48歳。まあ、企業でいうと若社長です。そこにベテラン社員が二人。黒田投手が1975年生まれで41歳、新井さんが1977年生まれで39歳。

そして彼らがけん引するのは平成生まれの若者たちで、盤石の1、2、3番のタナキクマルは1989(平成元)年生まれの同級生(菊池選手は1990年の早生まれで同学年)。

レギュラーをほぼ手中に収めた安倍友裕選手も同じく1989年生まれ。そして最多勝を争う野村投手も同年生まれ、と本当に若手の選手とベテランがうまく配置されているのが特徴です。

こういう年齢構造は企業でも十分に参考にできるのではないかと思います。もちろんベテラン二人は黒田投手や新井さんのように責任感が強いことが絶対条件で、そうでなければ平成の若者はついてこないのです。しかし、重要なのは彼ら平成世代が一様に「新井さんの姿を見ていたら、自分たちが練習しない訳にはいかない」とか、「黒田さんの投球に対する闘志はすごい」と言って評しているように、背中で引っ張れるかどうか、という点でしょう。

企業における中堅の役員に必要なのは、小言を言ったりすることではなく、どれだけ言葉ではない姿で若手を引っ張っていけるかどうか、ということにかかっていると言っても過言ではないのではないでしょうか。

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